石破発言は、秘密保護法の本質である。

石破氏による「テロ」発言は、政府批判を行う市民活動を根絶やしにしようという、特定秘密保護法の隠された本質をあらわにしています。
 12条2項1号の中で、「テロリズム」の定義が以下の通り示されています。
「政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、又は重要な施設その他のものを破壊するための活動をいう。」
 一見もっともらしい規定ですが、合理的なものといえるでしょうか。
 「目的で」までの部分がひとまとまりで、目的の説明だと考えると、結論としては、「人を殺傷」か「重要な施設その他ものもを破壊」するための活動のように見えます。
 しかし、石破説による解釈だと、以下のようになるかもしれません。



政治上その他の主義主張に基づき、
(1) 国家若しくは他人にこれを強要し、
(2) 社会に不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、
(3) 重要な施設その他のものを破壊する
 以上、(1)〜(3)のための行動がテロリズムと定義されていることになります。
(2)は、特定の目的に基づく殺傷ですが、「不特定多数のものに対する」という限定要件がないため、特定の1人に対する傷害罪までとすると、DVだって「テロ」になりかねません。
(3)も、「不特定多数のものが現に所在する」重要な施設という限定要件がないため、例えば、戦前に天皇と皇后の写真(御真影)と教育勅語を納めていた建物である奉安殿のような施設(戦前は、登下校時や単に前を通過する際にも,教職員生徒すべてが服装をただしてから最敬礼することにされていた「重要施設」とされていた)も容易に指定できます。また、「その他のもの」に至っては、全く何の限定のないため、官僚が「重要」と思ったものを壊すことがすべて「テロリズム」とされてしまいかねません。
もっとも問題なのは、(1)です。
(2)、(3)は、仮に上記のような限定要件があれば、不特定多数人に対する殺傷行為です。
 しかし、(1)は、これらとは全く異質といわざるを得ません。
「強要」の定義規定がないので、刑法233条に定める強要罪の構成要件をみると、以下の通りです。
1項:生命、身体、名誉若しくは財産に対し害を加えること旨を告知して脅迫し、又は暴行を用いて、人に義務のないことを行わせ、又は権利の行使を妨害したものは、3年以下の懲役に処する。
2項:親族の生命、身体、自由、名誉又は財産に対し害を加える旨を告知して脅迫し、人に義務のないことを行わせ、又は権利の行使を妨害したものも、前項と同様とする。
3項:前2項の罪の未遂は、罰する。
強要罪」では、被害者を人間しか想定していません。ところが、(1)では、国家も被害者となることを正面から規定しています。
 しかし、「強要罪」では、手段として「暴行」か「脅迫」しか想定していません。「国家」に暴行することも、脅迫することもできません(だから、国は被害者とされていません)。それなのに、「国家」に対する「強要」を「テロリズム」と定義するのは、どういうことを想定しているのでしょうか。
 「政治上その他の主義主張に基づき、」行うというのですから、例えば、原発再稼働反対、TPP反対、集団的自衛権反対、等といった、政府の見解とは異なる考えに基づいて、政府の政策を変更させるように集団的に要求する行為であるデモ行進や、大人数の集会を開催するような行為ぐらいしか想定できません。
 このような行為は、独裁国家で禁止されている例外はともかくとして、民主主義国家においては、表現の自由に属する行為としてもっとも優越的地位を与えられている人権のはずです。
 秘密保護法が、政府批判の表現行為をテロリズムと位置づけることは、これを悪とみなす行為であり、これを犯罪行為として取り締まる法律を制定する可能性があるという意味で問題です。
 さらに、このような「テロリズム」防止が、秘密保護法の別表四の定義にもなっていることから、このままでは、政府批判の表現行為を防止することが極めて重要であるという官僚の意思が表明されていることになります。そして、このような「テロリズム」防止に関する事項が「特定秘密」に指定されるということは、今後、政府批判の表現行為を監視することを、重要な国策として採用するということの宣言であり、逆に民主主義社会では許されない違法な国民監視の事実を内部告発しようとした公務員、取材・調査しようとした記者・市民を処罰する意志が現れています。
 これは、例えば、陸上自衛隊情報保全隊による政府批判を行う国民への監視などの国家の行為を2012年3月に仙台地方裁判所が違法と認定したのに対し、国が自分で裁き直して、違法を適法としただけでなく、さらに強く保護しようとしていることになります。



 石破氏の本音に基づく解釈によれば、このテロリスト条項だけでも、秘密保護法が、官僚による民主主義や司法の凌駕を実現させる法律として運用されかねないことを示しています。