B型肝炎訴訟で、原告本人尋問決定、和解も示唆

1 はじめに
 2009年7月1日14:00から、福岡地方裁判所で、B型肝炎訴訟九州訴訟の第5回口頭弁論期日が開かれました。
2 意見陳述
 最初に、原告と弁護団から意見陳述を行いました。
 原告番号13番さんは、こう話しました。「人と話をするのが苦手で、小学4年生から、特別な支援をしてくれるクラスに入りました。高校卒業後、小さな町工場(まちこうば)で、運動会で使うテントやシートを作る仕事をしました。先輩の職人さんに怒られながら3年かけて仕事を覚えました。15万円の給料ももらい、心配していた両親に一人前に見てもらえるようになりました。ところが、26歳の時、B型肝炎と言われ、インターフェロンを打つことになりました。高い熱が出て、頭痛がして、食べたものを吐きました。体がきつくなり、朝、起きあがることも出来なくなりました。仕事も休みがちになりました。社長さんから、「かわいそうだけど、やめてもらえないか。」と言われました。自信と安定を初めてもらった工場をやめ、息が詰まるような、苦しい思いがしました。今も薬代で月に1万円かかります。親の年金から出してもらいます。40歳を超えているのに情けないです。私の元気な体を返して下さい。私も被害者だと認めて下さい。」
 原告の榊原俊之さんは、全国を飛び回る仕事をして、月20万円の仕送りを2人の息子さんたちにしてきました。息子さんたちがそれぞれ大学院を出て独立し、のんびりと余生を過ごそうと思いを巡らせていた矢先に、体がだるくなりました。検査入院したところ、突然肝臓ガンの宣告を受けました。
 すぐにラジオ波焼灼術という治療を受けました。局所麻酔だけで、脇腹から針を差し込まれ、ラジオ波を流してガンに冒されている肝臓をそのまま焼かれました。体験したことのない1時間の激痛に、おもわず「ウーッ」といううなり声が続きました。
 手術後、医師から、「3年以内に98%の人が再発する」と言われました。励ますように「7,8年生きる人もいるから。」と言われました。54歳の若さで、人生に見えない線が引かれました。今も検査のたびに再発の恐怖と闘っています。
 榊原さんは、母が、国から受けるように言われて健康になるための予防接種を受けさせたのに、そのせいで命が奪われようとしていることについて、母に謝罪してほしいと訴えました。
吉村真吾弁護士は、国が原告らに釈明を求めているジェノタイプと、父子感染が、原告らが被害者であるという因果関係と関係がないことを述べました。
 また、徳田靖之弁護士は、国が裁判を引き延ばそうとしている態度が、最高裁判決をないがしろにする司法の軽視であり、また、被害の切り捨てと放置に腐心することは、行政としての責任に反し許されないことを述べ、裁判所に対し原告本人尋問の実施と、本件訴訟の早期全面解決を求めました。
3 原告本人尋問の決定と、和解の示唆
 その後、今後の進行についてのやりとりが行われました。
 そして、2009年7月29日に、原告3名の本人尋問を行うことが決まりました。
 10:00〜17:00で、慢性肝炎、肝硬変、肝ガンの原告1名ずつ(それぞれ、佐藤原告団長、匿名原告、窪山原告副団長)です。
 これは、全国10の地方裁判所で闘っているB型肝炎訴訟で、初の本格的な証拠調べの開始ということになります。
 国が、前提問題としての求釈明事項が解決しない限り証拠調べにはいるべきでないという意見書を3回も書いていたのを採用しなかったものです。
 原告らが求めている6名の原告の本人尋問が、全員の代表者であることを進行協議期日で確認した上での採用なので、10月13日(、10月28日)の予定の期日までには、原告側損害立証は終了するという予定になります。
 また、裁判長から、「和解」と言う言葉が出ました。
 国の求釈明に関する判断に際して、「国も和解に応じないでしょうから。」というものでした。公開の法廷で、和解を前提とし、和解勧告が示唆されるやりとりがあったということ自体が初のことです。
 弁護団としても、原告本人尋問後の10月には、裁判所に対して和解勧告を求める方針です。
国の予防接種の回しうちによるB型肝炎感染者全体の早期救済に向けて、大きな前進となりました。