勾留却下決定

 今日、弁護士になって11年間で初めての勾留却下決定を得ました。
 勾留とは、逮捕された被疑者が、引き続き10日間の身柄拘束を受ける処分ですが、捜査実務においては、ほとんどの場合、逮捕されれば右から左に勾留請求がなされ、裁判所は、一応必要性の審査をして、必要がなければ却下することになっているけれども、捜査側が「捜査の必要がある」と言えば、ほぼ100%認められる手続きといわれています。
 少し前のデータでも、却下決定は年間数えるほどしかなく、無罪判決(0.1%未満)並みの少なさで、本来捜査の必要性と人権保護の要請を厳格に審査する第三者としての司法の役割が形骸化されているという批判が長年続けられてきました。
 わが国の起訴前の身柄拘束期間は、先進国とは思えないほど長く、アメリカやイギリスなどがせいぜい2,3日なのに比べ、事実上約23日間認められます。
 その上、志布志事件や富山の強姦えん罪事件のように、その身柄拘束を利用して捜査機関が自白を強要し、素人で、手続きに不慣れな被疑者は、とうてい太刀打ちできません。
 裁判員制度は、市民の司法参加など、一見耳あたりの言い言葉で進められていますが、取り調べ過程の可視化(市民ではなく、警官を監視カメラで撮影し続けること)や、証拠の全面開示(警察や検察が、志布志事件のように、無罪の証拠を握りつぶして、無実の人を陥れることを防ぐこと)を実現しない限り、「その人が犯人だから」ではなく、「捜査機関が、その人を陥れて、無罪の証拠を握りつぶしたから」有罪となる制度はいささかも揺るぎません。
 勾留手続きを厳格にしようとする裁判官がいるとすれば、すばらしいことで、これがたまたまの例外的決定とはならないことを望みます。