中洲監視カメラに対する会長声明

 4月1日から稼働を開始した、中洲の15台の監視カメラに対する福岡県弁護士会の会長声明が同日出され、4月2日に、福岡市あてに手渡してきました。
 昨年7月に、県弁、九弁の共同声明として、設置規制の必要性、公道における設置の抑制の必要性を打ち出した上で、
「 犯罪検挙のための警察の捜査手段は、基本的人権を制圧する場合には法令の根拠を必要とし、令状がなければ原則として行えないというのが憲法以下の法令の考え方である。犯罪防止のための監視が一定の場合に許されるとしても、具体的にその場所で起こり得る犯罪の軽重や蓋然性を度外視し、抽象的な「安全」や、単なる主観にすぎない「安心感」のために人権を制約することまで許されているのではない。」
等と指摘していたのに、
「 ところが、協議会の事務局を務める福岡市は、福岡県弁護士会人権擁護委員会の聴き取りに対しては、「窃盗・強盗事件は、ベンチで休んでいるものを対象とした川べりの方が多いが、カメラに守られているという安心感のためには、多くの人が通行する大通りに設置した方が、メッセージを有効に伝達できる。」等と回答し、客観的な犯罪発生の蓋然性よりも主観的な安心感を重視しており、問題がある。」
という点が、その後の問題点としてでています。
 中洲監視カメラの市役所での記者会見で述べましたが、現在の「靖国」上映のとりやめ、プリンスホテルの集会禁止などは、すべて、「安全安心」の価値を、比較考量なしに市民的自由の上に置いたという誤りが極限的な形で現れたものだと思います。
 靖国では、客の安全と、周辺地域の安心感と言うことが目的だそうですから、施設は、テロなどの犯罪を懸念したので、安全のため、であり、周辺地域の安心のためです。
 プリンスホテルでも、テロなどの犯罪はともかく、街宣活動などによる迷惑行為からの安全であり、安心が目的です。
 そもそも、テロや犯罪の起こる客観的蓋然性があるのか、仮にあったとして、その頻度や軽重がどの程度のもので、制約される市民的自由を上回るものか、という点に関する理性的、客観的、科学的な検討が不可欠です。
 「私やみんなが安心(安全でなく)になるためなら、気分次第で、他人の表現の自由や、プライバシー権など、自由自在に侵害しますけど、何か?」という異常さは、監視カメラも、映画の上映自粛も全く同じです。