住基ネット訴訟最高裁判決

 13:40から、最高裁で、住民らの住民票コードの削除を命じた大阪高裁判決(平18.11.30)に対する上告審判決が言い渡されました。私は、第1小法廷の代理人席でこれを聞きました。
 判決は13頁ですが、原審判決が確定した事実の概要と、原審の判断の要約だけで8ページ以上に渡っており、最高裁の判断部分は、わずか4ページしかありません。
 原告らが求め、多くの地方裁判所高等裁判所が、その存在自体を認めた、憲法13条に基づく自己情報コントロール権について、「憲法13条は、国民の私生活上の自由が公権力の行使に対しても保護されるべきことを規定しているものであり、個人の私生活上の自由のひとつとして、何人も、個人に関する情報をみだりに第三者に開示または公表されない自由を有するものと解される。」として、京都府学連事件参照としています。
 これは、自己情報コントロール権のうち、情報の収集制限、目的外利用の制限などを無視して、第三者提供というごく一部についてしか認めないもので、その姿勢は国民の権利を可能な限り保護したくない、行政機関の自由な政策の方を積極的に保護したい、という萎縮した判断です。
 しかも、住基ネットで取り扱われる個人情報は秘匿性が高いとは言えない、住民票コードも、「上記目的(住基ネットによる本人確認情報の管理、利用等)に利用される限りにおいては、その秘匿性の程度は本人確認情報と異なるものではない。」といいました。しかし、「ちゃんとみんなが守っていれば、つまり、漏れないのなら、守る必要性が高い情報ではない、」という論理は明らかにおかしいでしょう。
 本来、「秘匿性の程度が高いので、住基ネットの目的以外に利用されないかどうかを厳格に判断する必要がある」はずなのに、「管理方法が厳格なら、権利性は薄くなる」、という論理は、健全な市民の常識に反しています。
 管理方法についても、国が説明するとおり、通り一遍の法規定や制度設計だけを検討して十分だとしています。
 大阪高裁判決は、自衛隊適齢者情報のデータマッチングをとらえ、これを防止できない体制では、データマッチングの危険性があると指摘しましたが、最高裁は、「住基ネットの外で行われているデータマッチング」が違法かどうかは、住基ネットとは関係がなく、「住基ネットを使ったデータマッチングがされる具体的危険」を示す証拠はない、と、切って捨てました。
 もちろん、愛南町北秋田市などで住民票コードが漏洩した事実があるのに、情報漏洩の具体的危険はないと堂々と宣言してます。
 最高裁は、「法の支配」のための砦です。
 多数決民主主義(改正住基法)で不当に傷つけられた少数者(国家から背番号を付けられたくない人)の権利侵害があるかどうか、それが、やむをえないかどうか、を真剣に審査して、少数者であっても権利を保護すること、仮に保護しない結果となっても、国民に納得のいく理由で説得することが求められています。
 この判決は、その役割を放棄した、最悪の判決と言わざるを得ません。

 なお、私は、司法修習生となるための健康診断の時に、裏口から入って以来13年ぶりに、今度は初めて正門から最高裁判所に入りました。多くの弁護士は、弁護士登録後、最高裁には入ったことがないか、多くても数回しかないでしょう。
 判決を聞く前に、代理人1人1人の座る席が間違っていないか、2回も確認されました(高裁までの裁判所では、坐る位置などをチェックされることなどあり得ません)。
 ドイツ連邦憲法裁判所は、市民に開かれた存在です。調査官、副長官に対する私たちの聴き取り調査をしている様子も、「外国人が調査しているところです、」といって、ドイツ人の訪問者に見せていました。
 普通の国民ばかりか、弁護士すらも容易に寄せ付けないわが国の最高裁判所の姿は、国が市民や弁護士を管理することなど当たり前だ、という判断姿勢を象徴しています。