監視カメラに法規制を 人権保障と自由な社会のために

 2017年9月19日、秋田さきがけ新報の朝刊に、原稿が掲載されました。
 秋田弁護士会主催の「監視カメラとプライバシーに関する市民集会」が30日午後1時半から秋田市文化会館で開かれ、講演する予定です。


 監視カメラに法規制を/人権保障と自由な社会のために


 2016年11月に、覚せい剤使用の疑いで芸能人が逮捕された。逮捕直前に乗車していたタクシーの車内映像がテレビ各局に提供され、報道された。「手前で降ろしてください」。自宅へ向かう車中の被疑者の声は、はっきり聞き取れる。皆さんは、多くのタクシーの中で、乗客の姿が録画され、会話も録音されていることをご存じだろうか。
 コンビニエンスストアでも、客の行動だけでなく会話も録音しているところが多い。
 現在、日本には約500万台の監視カメラが設置されている。そのほとんどは、すべての人を無差別に常時録画する。音声を録音するものも増えているが、法規制は特にない。
 14年度には、監視カメラのデジタル画像から人の「顔」を探し出し、あらかじめ警察が作成している「顔」データベースと瞬時に照合する「顔認証装置」が全国5都県の警察に導入された。顔の中から特徴点を解析し、顔を指紋のように検索して、探したい人をさまざまな時点、さまざまな場所の画像から瞬時に探しだすことができる。そのルールを定めた法律はなく、濫用(らんよう)をチェックする仕組みもない。
 16年8月には、大分で、選挙活動中の団体に向けた隠し撮り捜査が行われたことが発覚し問題となったが、警察庁は隠し撮り自体は問題がないとして今後も行う方針だ。


 自由に通行してよい街頭への監視カメラの設置について意見を聞くと、賛成が圧倒的だ。理由の多くは、「防犯効果があるから」。
 果たしてそうか。10年に川崎駅東口路上に設置された監視カメラによる防犯効果が警察庁ホームページに報告されている。犯罪が、カメラの設置場所からその周辺に移動しただけで全体としては犯罪は減らず、防犯効果がなかった可能性が指摘されている。
 監視カメラの画像が犯人検挙のきっかけになることはまちがいない。しかし、警察庁は「それで犯罪が減る」証拠を示せない。多額の税金を投入し、無数の罪のない市民の行動を記録し続け、その効果が、犯罪の場所が周辺に移動するだけで、全体として犯罪が減らないとしても、カメラは役に立っているといえるだろうか。
 共謀罪法案のように、「防犯」「テロ防止」と打ち出される政策は支持を得やすい。しかし、防犯目的なら、何でも「よい政策」だろうか。
 今年3月、最高裁は、広島の元アナウンサーの窃盗事件について逆転無罪判決を出した。銀行の監視カメラに映っていた画像を決め手として、地裁、高裁で有罪判決を2度も受けていた。捜査での活用拡大に伴い、監視カメラ画像によるえん罪も年々増えている。


 裁判所は警察捜査をチェックする役割を負う。憲法は、犯罪検挙だけを社会に有益なものと見なすことなく、常に捜査対象者の人権保障を図りながら捜査をするよう、警察にブレーキをかけている。逮捕や家宅捜索に裁判所の令状が要求されているのも、「強い」捜査方法を、警察が自由自在に行うことを禁止することでしか、市民の人権や自由な社会が守れないからだ。
 同じく今年3月、最高裁は、被疑者等の自動車に密かにGPS発信器をつけてその移動を継続的に把握するGPS捜査を、法律がなければ許されない強制捜査と位置づけ、法律なく実施した捜査で得た証拠を無効とする判断を裁判官名の全員一致で示した。
 監視カメラもデジタル化により、録画データの保存が大量かつ安価にできる。民間企業が撮影した監視カメラデータは、裁判所の令状によらず大量に収集されている。
 警察が、目をつけた人物の顔認証データを用いて、「過去から未来まで」その行動を捕捉することも不可能ではない。会話内容まで収集されれば、「よからぬことを計画していないか」と、共謀罪捜査を理由にした政府批判者に対する監視すら懸念される。
 日弁連は、2012年と16年に、監視カメラ、顔認証装置を用いた捜査手法に対し、ルールの事前明示と第三者の監督を法律であらかじめ定めるべきだと提言している。京都府は、民間事業者に対し、監視カメラデータを警察に提供する場合に原則として令状を求めるようガイドラインで呼びかけており、全国で参考にすべき取り組みといえる。
 大量監視型の新たな科学技術に基づく捜査方法に対して、民主主義的なコントロールを確保することが、人権保障と自由な社会を守ることを使命とする弁護士会、ひいては裁判所も含めた司法全体が市民に対して負う社会的責任であると考える。