犯人に似ていると、逮捕されるかも・・・

 今朝の朝刊で、防犯カメラにうつった犯人に似ているというだけで犯人と決めつけられ、窃盗罪で起訴されていた男性の結審が、昨日金沢地方裁判所で行われ、検察側も無罪を主張したと報道されていました。
 この男性は、やっていないと否認していたにもかかわらず、検察官の取り調べで、カメラの男と同一人物だと再三問いつめられ、「現場には行ったことがないが、男は自分だ」とする供述調書にサインさせられたそうです。
 この裁判では、弁護人が、防犯カメラの映像の鑑定を申請したところ、別人だと言うことが判明したそうです。
 このことは、ずさんな捜査機関の運用により、無実の市民がいつ犯人に仕立て上げられるか分からないことを示しています。
 警察庁自治体は、多額の税金を投入しながら全国に大量の防犯カメラを設置し始めています。警察庁は、これをネットワーク化しようと進めています。
 最近は、「痴漢えん罪のときの無罪証明になるから、電車の中に防犯カメラがあった方がいいのではないか」という意見もあります。通常は激しく混雑した電車の中で痴漢事件が起こるので、どんなに設置方法を工夫しても、犯人の手の動きが撮影できるように設置することは物理的におよそ不可能です。冷静に、理性的に考えてみれば、小学生でも分かる理屈です。むしろ、えん罪の決め手にさえなりかねません。
防犯カメラによるえん罪の発生は、イギリスでも問題とされています。
 日本でも、実はすでに起こっています。
 1999年2月1日に、警察から任意同行を求められた宇和島市のAさんは、農協の防犯ビデオに顔が写っているからといって、農協から他人の貯金を50万円引き出したという窃盗の取り調べを受けました。
 全く身に覚えがないので、認めませんでしたが、警察官は、机をドンとたたいて、語気を荒げました。「素直に謝ればともかく、このまま認めなければそれだけ罪が重くなるぞ」「あくまで否認するというなら、会社や親戚に調べを入れる以外にない。周りの人にそんな迷惑をかけてもいいのか」
 いくら弁解しても聞いてもらえない苦しさに、やがてどうでもいいという気持ちになり、取り調べ開始からわずか4時間で、「はい、私がやりました」と認めました(「自白の心理学」浜田寿美男岩波新書p27〜29参照)。
 今回の金沢のえん罪事件も、コンビニのATMで、他人の預金を100万円盗んだという窃盗事件でした。
 防犯カメラがあるところ、いつでもえん罪の危険がある、ということは認識しておかなければならないでしょう。
 警察が運用するから安全で安心だとは限りません。EUはもちろん、アメリカでも、警察が防犯カメラを一元管理することは許容されません。
 日本でも、警察が「正義の味方」だから、警察が管理すると安心だという単純な感情ではなく、理性によって、どのような場合なら画像を収集・利用してよいのか、どのようなルールで運用違反のチェックを行うのか、など法律による厳格な民主的コントロールが必要です。