住基ネット金沢判決

 午前10時に、名古屋高裁金沢支部は、2005年5月30日に出された、金沢地裁の画期的な違憲判決を取り消し、住民の住基ネットからの離脱を認めない逆転判決を下しました。
 私は、金沢地裁違憲判決に続き、今回の逆転判決にも立ち会いました。
 高裁判決は、住民票コードや、住所、氏名、生年月日、性別等の個人識別情報は、「特定の個人を極めて容易に検索することができるため、国家機関等の公権力が、これらの情報を媒介にして、その情報にかかる個人の私生活に関する情報を広範囲に収集し、そのことにより、その言動等を把握し、監視し、さらには、これに直接あるいは間接に干渉することが可能となることから、国民がそのことに対する危惧、不安を感じ、その言動(例えば、集会や市民運動への参加)を抑制するなどのおそれがないわけではなく、」として、その重要性を認めました。
 ところが、すぐに、識別情報が私的領域の情報でないことを指摘し、①行政側の正当な理由があり、②相当な方法である限り、同意はなくとも利用してよいという基準を定立し、そのあとわずか1頁で、住基ネットの正当性と利用方法の相当性をあっさりと認めて合憲としています。
 金沢地裁の緻密な判断(行政機関個人情報保護法の抜け穴などを指摘し、行政機関による目的外利用の制限が不十分と指摘した)を回避し、表面だけをなぞった行政追認の判断です。
 特にひどいのは、国会で「こうなるから行政効率化が図れる」と提示した資料(住基カードを国民の50%が保有する状態)が全く実現していない現状に関しては、「この点は、国または地方公共団体における行政事務の処理に関する立法政策または行政上の施策の当否の問題として、立法府または行政府が広範な裁量権を有する事項である」として判断を回避しました。この点こそが、住基ネットの正当性の欠如を示すものなのに、「目をつぶって行政府の言うことを信じろ」というに等しいお粗末な判断です。
 行政が、あるいは国会が国民の権利を侵害したときに、多数決に破れた少数者であっても、憲法の光に照らして救済する機関が、数の力と無関係に理性によって冷静に判断する裁判所の役割です。
 総務省や国会の判断が明らかに誤っていても、広範な裁量を認めるこの判決は、司法の責任を放棄したものというほかなく、「裁判所が法令審査に目をつぶる時代」を感じさせます。