大崎事件の現状

 大崎事件について、自由法曹団5月集会に向けて求められた報告原稿です。

1 事件の概要と第1次再審の経過
弁護団長の森雅美先生(鹿児島)からのご指名でご報告致します。
 1979(昭和54)年10月、鹿児島県大崎町において、牛小屋の堆肥の中から死体が発見された事件について、捜査当局は、知的障がいのある親族3名から自白を獲得し、否認を続ける原口アヤ子さんを含む殺人・死体遺棄事件として立件しました。全員が有罪とされました。
 アヤ子さんは、「やっていない罪を認める反省文は書けない」と仮出獄に必要な上申書の提出を拒否して10年満期服役し、出所後の1995(平成7)年4月、再審請求を行いました。
2002(平成14)年3月、鹿児島地裁は、画期的な再審開始決定を出しました。その内容は、4人全員のえん罪を示唆するものでした。しかし、2004(平成16)年12月、即時抗告審はこれを取り消し、2006(平成18)年1月、特別抗告も棄却されました。
2 第2次再審の経過
 2010(平成22)年8月、新たな法医学鑑定書、供述心理鑑定書等を新証拠として第2次再審請求を鹿児島地裁に申し立てました。
 検察官には未開示証拠の開示を求めましたが、検察官は「不見当」としてこれに応じませんでした。裁判所は、進行協議期日に検察官が示唆した、第一次再審段階で検察官が収集した証拠の標目の開示すら促すことなく、2013(平成25)年3月、棄却決定を出しました。
 即時抗告審である福岡高裁宮崎支部は、積極的に進行協議期日を指定し、まず、アヤ子さんの意見を聞く機会を設けました。アヤ子さんは、裁判官に「生き返りたい。」「罪をかぶせられたままなら死んだも同然です。」ときっぱりと発言しました。
 裁判所は、検察官に対し、原審で示唆した証拠の標目だけでなく、捜査機関に現存する証拠についても新たに調査して標目を作成し、それをも弁護団に開示するよう勧告しました。「一次再審の際に開示した証拠を超えて、証拠は存在しない見込み」と原審で述べていたはずの検察官から、213点もの未開示証拠が提出されました。
 当職は、法医学担当として、上野正彦もと東京都監察医務院長の尋問とこれを踏まえた弁護団意見書の作成を行いました。上野鑑定では、絞頚による窒息死であれば咽喉頭部のうっ血・出血所見が必ず伴うことを頸部の動静脈の走行と支配領域の点から示され、当初の鑑定書でも、咽喉頭部の摘出前と後の写真が残されていることから、当該器官は、警察官数名の立ち会いの下、絞頚による窒息死を疑って解剖している法医学者であれば必ず観察しているはずであり、それによりうっ血・出血所見があれば、写真とともに必ず鑑定書に記録されているはずであること、しかしそれが存在しないことは、当該所見が存在しなかったものと考えられることなどが明らかとなりました。
 また、法医学証人の尋問にとどまらず、刑事裁判史上前例のない、供述心理学者2名(高木光太郎氏、大橋靖史氏)の尋問も実施されました。両証人は、スキーマ・アプローチの手法により公判調書という生の供述をそのまま記録した鑑定資料等を用いてなされた心理学的分析の結果、共犯者とされる者の供述においては、複数の人々が共同で行為を遂行するために必要とされる最低限の相互行為調整がなされておらず、共犯者とされるものの供述が体験に基づかない供述である可能性が高いことを明らかにしました。
これらの新証拠は、客観的証拠のない本件において、唯一のよりどころとされている、共犯者とされたものの自白の信用性を著しく減殺するものであり、請求人らの無実を示すものです。
 さらに、最後に、裁判所からの勧告を踏まえ、検察官から500点を超える写真が開示されました。
弁護団は、2014(平成26)年3月、500頁に及ぶ最終意見書を提出しました。検察官からも3月末に反論意見書がすでに提出されており、補足的主張も4月中に終了し、その後判断が出される見通しです。
第2次再審では、地元鹿児島の若手弁護士が多数参加し、中心的な役割を果たしました。原審の最終段階からは、木谷明先生や佐藤博史先生も参加されました。
 現在の即時抗告審では、宮崎からも多数弁護団に参加していただき、多大なご協力をいただきました。現在は60名の大弁護団となっています。
 宮崎を中心とした九州、そして首都圏の国民救援会の方々による支援も活発に行われています。日弁連の再審支援決定も受けました。
3 最後に
 私たちは、アヤ子さんら4名の無実を確信して活動しています。
 また、当審において、再審開始決定が出されるものと信じております。
 86才のアヤ子さんがお元気なうちにえん罪を雪ぐことができますよう、ご支援のほどよろしくお願い致します。