法曹人口論はどこが間違っているのか。

 法曹人口論について、弁護士や弁護士団体が「ペースをスローダウンすべきだ」という意見を言うと、すぐに袋だたきに会うというのが近年の通例です。
 ちょっと目線を変えて、他の業界であればどういうことなのか、と言うことを同じ専門家集団である医師と比較して検討してみたいと思います。

 日本の病院を、他の先進国と比較すると、ベッド数と外来患者数がほぼ同じ規模の場合、医師の数は、諸外国の平均の3分の1,看護師の数は4分の1,検査技師、秘書などのサポーティングスタッフまで数えると、10分の1だそうです(「安全と安心の科学」村上陽一郎集英社新書p94)。
 そこでこの目標が打ち立てられます。
 目標1「医師の総数を早急に3倍にしなければならない」
 平成12年の全国の届出医師数は25万5792人、従事者は24万3201人(厚生労働省統計)だから、命題1の目標は、約75万人の医師が必要になります。
 そして、平成19年の医師国家試験の合格者は7535人でした。
 それでは、年間の医師国家試験の合格者数は3倍にすればよいかというと、単純にそうではありません。
「何十年もかかって3倍になっても、今患者の安全がおろそかにされてはならないから、可能な限り医師総数3倍を達成するため、当面の間は、毎年6倍ずつ医師を増やしていき、しばらくしてからまた考えよう。」
 そのため、次の目標はこうなります。
 目標2「医師国家試験の合格者数は、現在約7500人の6倍の、年間約4万5000人とする。」
 ところが、医師国家試験を受験するものを養成する機関をどう増やすかというと、「自然に任せるので、自由に名乗りを上げたところに対し、一定の水準に達していたらすべて許可を与える」結果、養成機関の1学年の定員数は、4万5000人ではなく、7万人認められます。しかも、偏在解消もスローガンだったはずなのに、なぜか東京と大阪周辺に集中し、地方にはそもそもほとんどありません。
 養成機関を卒業したものが試験を受け出すと、50%か60%しか合格しません。受かった人自体の質も低いのではないかと指摘されます。最初の定員の設定自体がおかしいのですが、「70%は合格させないと当初の理念と合致しないから、合格者数はもっと増やすべきだ。」と言われ、さらに増やす方向の議論だけが進み、減らす方向の議論は「改革の理念にもとる」と言われます。 
 しかし、実際に合格して研修を受けた医師は、現実に収容できない医療機関への就職が困難になります。資格は持っているが、就職できず、そもそも一人前になるためのスキルアップすら保障されません。
 医師団体が、「これは増やしすぎだから、年間4万5000人という数値は減らす方向で見直すべきだ。」というと、「医師はエゴだ。自分が儲けたいのか」「儲けなければ人命を助けないというのは許せない」と、非難ごうごうとなり、思わず口をつぐんでしまいます。(現実の医師の場合は、このような事態に至るはずがないので、全く他意はありません。)

 現実1「年間3000人合格すると、目標の3倍近い人口になる」
 司法試験の合格者数は年間3000人になる予定です。わが国では、長年500人だったので、これは6倍の規模です。このまま行くと、現在2万人の弁護士人口は、目標とされる5万人を超え、13万5612人になると試算されています(日弁連弁護士業務綜合推進センター報告書)。この数は、今全国にいる医師の総数の2分の1以上という大人数です。
 みなさんは、今までに、何人の医師のお世話になり、いくら支払ったことがありますか。
 弁護士に対して、その半分の人数に相談したり、または支払った総額の半分の費用を支払ったりする必要性があると思いますか。また、そのように必要性があるのに、実際にはアクセスできなくて困ったことがありますか。
 現実2「裁判官、検察官はほとんど増えず、弁護士だけが突出して増える」
 市民が、法的解決による公正な救済を受けようとした場合、単に弁護士にアクセスできたら、解決できると思いますか。そのような事件も全くないわけではありませんが、多くもありません。
 いざとなったら、裁判で解決するしかありません。しかし、弁護士数だけではなく、裁判官の数も、検察官の数も、欧米と比べれば極めて少ないため、いずれも多忙な激務です。これらの容量自体が全体として増えなければ、「法の支配」など達成のしようがありません。
 容量が増えないまま弁護士が増えれば、問題が予想されます。「非弁提携」といって、弁護士法や弁護士倫理に反する違法行為をする弁護士がいますが、その多くは、バブル崩壊後、仕事が減って困った都会の弁護士だと指摘されています。そのような弁護士が増えてはならないことですが、国民からの需要がどの程度あるのかを予測し、食い詰めた弁護士が非行に走らない規模を検討することは、弁護士に対するアクセスの安全を維持するために市民の側からも必要なことではないでしょうか。
 財界は、弁護士が足りないとしきりに主張しましたが、実際に合格者が増えても、自分たちの業界で採用しようとはしていません。「足りない、足りない」というかけ声は、現実化しないまま、需要は増えていません。
 司法改革では、市民がアクセスしやすくするためと言って、弁護士の数は増やしますが、裁判所の予算や、法律扶助の予算は、欧米並みに増やそうとはしていません。だから、市民の方々がアクセスするのは自腹で、自己責任です。極論すれば、弁護士を頼めない人は、自分の権利を守れなくても仕方がない、と言う新自由主義社会に放り出される危険性があります。
 行政改革が優先され、司法関連予算が増えない中、増えた弁護士は、困った事故や事件に巻き込まれているあなたの財布を狙うしかなくなるかもしれません。
 あなたは、あなたの財布のお金だけを狙う弁護士が増えても、安心して弁護士に相談できますか。依頼できますか。
 現実3「弁護士の質が維持できない」
 最近は、司法研修所の卒業試験で、数年前なら考えられないような低次元の不合格答案が多く見られています。おそらく、従来の司法試験の択一試験も合格しないだろうというレベルで、他人の権利を擁護すべき法律家としての能力は期待できません。
 さらに、弁護士になっても、初歩的な知識すらない弁護士が誕生していると指摘されています。拘束されている被疑者に会おうと思ったけれども、「接見禁止指定」が付されていたので、弁護士も会えないだろうと思いこんで、被疑者と接見しなかったそうです。
 数が増えて、簡単にアクセスできるようになっても、このような弁護士だったら、あなたの権利が守られるとは考えられません。
 結論 「それでも、弁護士はたくさんいた方がいいですか。3000人を見直すのは弁護士のエゴだと思いますか。」