人権大会監視社会シンポジウム

 12:30から、浜松市アクトシティ浜松」で、日弁連主催の人権大会が開かれました。私は、第1分科会「市民の自由と安全を考えるー9.11以降の時代と監視社会」の実行委員として、約20分間基調報告を行いました。
 基調報告書は500頁以上にのぼる大部なもので、テロ対策・防犯対策という安全・安心を目的として市民の自由を制限する政策が進む中で、その歯止めが必要ではないか、どこで折り合いを付けるべきか、等を検討したものです。
 私が当日報告を行ったのは、そのうち第3編の「安全・安心まちづくり」政策についてです。
 これは、いわゆる生活安全条例や、これを中心とした市民による防犯パトロールなどの運動について検討したものです。概要は以下の通りです。
 その柱は、大きく分けると3本になっています。
 1つ目は、軽微な社会秩序違反を放置せず、重大犯罪同様に徹底的に取りしまることです。
 2つ目は、「地域は、地域住民自身が守る」として、住民や自治体を警察の防犯活動に協力させるものです。
 3つ目は、環境設計による犯罪予防という考え方です。これは、人間は監視されていなければ犯罪を犯すということで、誘惑の隙が起こらないよう、街角から死角をなくしたり、監視カメラで監視する必要があるという考え方です。
 1つ目の柱について、2002年に制定された大阪府安全なまちづくり条例では、それまで何ら問題とされていなかった迷惑行為を、犯罪にして取り締まることにしました。
 公共の場所や公共の乗り物で、鉄パイプ、バット、木刀、ゴルフクラブ、角材その他これらに類する棒状の器具で、人の生命・身体を害するように使用されるおそれのあるものを持った人は、持っているだけで犯罪者になります。
実際に検挙された事例を見ると、わずか27センチのトレーニングスプリングを持っていただけの少年も、それだけで犯罪者として検挙されています。
 公共の場所や乗り物でなく、自分の乗っている自動車に乗せていただけの人も、次々に検挙されていきました。
 今年施行された神奈川県迷惑行為防止条例では、さらに進んでいます。
 木刀などを、「不安を覚えさせるような方法で携帯する行為」を処罰します。迷惑ビラなどを配布目的で所持するだけで処罰されます。実際に人が不安を覚えたり、迷惑に思ったりしなくても、検挙されてしまいます。
 2つ目の柱のうち、住民からの警察活動への参加として代表的なものは、パトカーそっくりの格好をした青パトと呼ばれる自動車を利用した不審者捜しのパトロール活動があります。
 警察や自治体の主導で、このような活動に参加する住民はどんどん増えていて、2003年に18万人弱だった参加人数は、2006年には、約165万人になっています。
 不審者捜しは、特定のグループの市民を、社会から排除し始めています。
 2006年1月の朝日新聞の記事によると、医師から自閉傾向があると診断された28才の男性Bさんは、陶芸教室や、水泳、絵画教室等に通っていました。子どもが好きで、道で見かけるとほほえんでみたり、にこにこしながら独り言を言ったり、ぴょんぴょん跳ねる癖があります。そのため、最近、近所の住民の4人でBさんの家に来て言いました。「見つめられて子どもたちが怖がっている。何とかできないか。」Bさんは、水泳教室等に通うことができなくなりました。
 奈良県では、2004年11月に起こった女児誘拐殺人事件を受けて、「子どもを犯罪の被害から守る条例」が制定されました。近くに保護者のいない子どもに、公共の場所などで言いがかりを付けたり、つきまったりすることを犯罪として処罰する条例です。
 この条例が公布されたことが大きく宣伝された翌日、この条例が施行される前に、Iさんは、幼児に誘拐するぞと声をかけたとして脅迫罪で逮捕され、起訴されました。この方は、近視と乱視があったため、黒いサングラスをかけていました。母親の近くを離れ、走り出した幼児が心配になって、思わず手をさしのべてしまいました。しかし、母親は、黒いサングラスの男が、自分の子どもに手を伸ばすのを見て、不審者だと思いました。幸い無罪判決が出ましたが、社会生活上の支障はたいへんなものでした。
 今日からわずか1ヶ月前の、今年の9月25日、佐賀市内の授産施設から帰宅していた知的障害を持つYさんは、5人組の警察官から取り押さえられ、意識を失って死亡してしまいました。Yさんが死亡する経過についての警察の説明は2転3転し、十分な説明をしていませんが、はじめに2人組の警察官が職務質問をしたこと、Yさんが手錠をかけられたこと、5人組の警察官から取り押さえられた結果、意識を失ったことは間違いがありません。
 最後に、3つ目の柱との関係で、監視カメラの設置について見ていきます。警察には、膨大な市民情報が集中します。
 Nシステムは、高速道路や主要幹線道路に、全国で約1000箇所に設置されている、通過車両のナンバープレートを読み取る監視カメラです。運転手と助手席の顔も読み取ることができます。警察は、情報が、一定期間後消去され、長期間保存されることはないと主張しました。しかし、2006年3月に、愛媛県警のひとりの警部のパソコンに、7年前のNシステムのデータが大量に保管されていることが分かりました。Nシステムには、これを管理する法律がない上、警察によっていったいどのように利用されているのか、市民には全く知らされていません。
 安全・安心まちづくり政策とはいったいなんでしょうか。
 警察は、不審者情報を送信し続け、監視カメラを張り巡らす社会が安全で安心なんだよと説明しています。多額の税金も投入されて、このようなまちづくりはどんどん進んでいます。
 しかし、何が安全で、何が安心なのか、その中身を、警察が決めていいのでしょうか。逆に、安全と安心の敵を、警察が決めていいのでしょうか。
 結果として、障害者や外国人を、不審者として地域社会から排除してしまうのは仕方のないことでしょうか。
 最近は、公安警察によって、通常は検挙しないようなビラの配布行為をあえて検挙する事件が増えています。その対象は、政府の批判をする市民や団体にだけ向けられています。間違っても、ピザ屋さんのチラシを配布する人や、与党のためのビラを配布する人に向けられることはありません。
 権力批判をする人だけを取り出して、危険人物だという評価を下す警察を頼った運動は、いつのまにか警察が危険人物だという市民を監視する危険はないでしょうか。
 住民が一丸となって不審者捜しをし、隣の人を警戒する社会になって、市民社会は本当に安全で安心になるのでしょうか。
 警察は、現に起こった犯罪を事後的に捜査することを本来の職務にしています。将来犯罪を起こすかもしれない人を事前に捜査することは認められていません。犯罪が起こる前から、犯罪予備軍としての不審者を捜し回る活動を開始し、それに市民や自治体も積極的に関与する活動は、市民を分断し、不信社会を作り出します。
 市民の情報をどんどん集め、その利用方法や管理方法を一切秘密にし、嘘までつく警察の情報を公開し、行政機関の個人情報の管理状況を、市民が監視できる制度が必要不可欠ではないでしょうか。