全国初の原告本人尋問(B型肝炎九州訴訟)

 2009年7月29日午前10時から、福岡地方裁判所501号法廷で、B型肝炎九州訴訟の原告本人尋問が行われました。
 全国10地裁で最初の原告本人尋問のため、北海道、東京、新潟、大阪、広島からも、弁護団原告団が駆け付け、傍聴されました。
 最初に尋問に答えたのは、慢性肝炎被害を代表する、原告団長の佐藤美好さんでした。
 佐藤団長は、献血の時にB型肝炎のキャリアだと言うことを知りましたが、特に身体に異常はありませんでした。しかし、その10年後、突然肝炎を発症し、医師から治りにくい病気で、ガンに進行する可能性があると言われました。
 32年間勤務したNTTを退社し、趣味のマラソンや登山も出来なくなりました。
 親から受け継いだ畑の手入れをしようと思いましたが、それも体調のため断念せざるを得ませんでした。
 いつ肝臓ガンになるかという不安がつきまとっていると語り、最高裁判決後も全く被害者を救済しようとしない国を行政の怠慢だと批判しました。
次に証言台に立ったのは、肝硬変被害を代表する、福岡県内在住の50代女性である原告41番さんでした。
 41番さんは、最初の子である長男の妊娠が分かったときに、B型肝炎に感染していることを知りました。
 肝炎を発症しないよう、体に気をつけながら生活し、パン教室では人に教える免状をもらい、夫が退職した後は、田舎でパン屋さんを開こうという夢を描いていました。
 しかし、2006年に、歩くだけで疲れるようになりました。病院に行くと、肝硬変だと言われました。そして、食道静脈瘤が出来ると、出血して死ぬことがあるとか、肝臓が働かなくなって死ぬことがあるという説明を受け、目の前が真っ暗になりました。
 翌年には、食道静脈瘤が見つかり、いつ死んでしまうか分からないと思うようになりました。
2人の子どもに母子感染させ、長男は昨年秋に肝炎を発症しました。申し訳ないという気持ちと、自分のように肝硬変になるのではないかという不安な気持ちになりました。
自分たちが安心して治療を受けられるようにしてほしいと訴えました。
最後に尋問に応えたのは、肝ガン被害を代表する原告団副団長の窪山寛さんでした。
 窪山さんは、2年前、60歳の時に受けたミニドックで、突然肝臓ガンがあるといわれました。肝臓の3分の1を切除して、悪いところはとったはずでしたが、7ヶ月後に再発しました。ラジオ波で肝臓を焼く治療で、火箸で腹の中を混ぜ返すような痛みを受けました。エタノールを肝臓に注入する治療を受け、思わずつかんだ看護師さんの腕が真っ赤になるほどの痛みに耐えました。
 しかし、それでもまた肝臓ガンが再発しました。医師から、「3年は無理でしょうね」と告げられました。いつも気丈に励ましてくれた奥さんは、布団の中で、「お父さん、死なんとよ」と言って泣き続け、一緒になって大声で泣きました。窪山さんは、小学4年生の孫にまで、長生きできるのか心配をかけてしまうことが悔しいと訴えました。
国民としての義務は果たしているのだから、国は国民を救済する義務を果たせ、と訴えました。
尋問終了後、次回10月13日の13:30から遺族原告と、無症候性キャリアの原告の本人尋問を実施することが決まりました。また、新たな審理予定として、10月26日13:10,11月16日13:30,12月7日13:30の、3回の進行協議期日が決まりました。
 その趣旨として、裁判長は、争点整理を進め、早期解決を目指すものであると述べました。弁護団は、年内和解を目指して、今後も活動を続けていきます。
 今日も、天気の悪い中、たくさんの支援者の方々に傍聴に来ていただき、法廷が満員になりました。次回の原告本人尋問期日も、是非傍聴支援をよろしくお願いいたします。