「デジタル社会の光と陰~便利さに隠されたプライバシー・民主主義の危機~」基調報告書

日弁連ホームページに、本年の人権擁護大会シンポジウムの基調報告書がアップロードされました。

https://www.nichibenren.or.jp/document/symposium/jinken_taikai.html

全体の監修を行いましたが、担当した部分の一部を引用します。

(以下、pⅰ~ⅴ)

本基調報告書のテーマと構成

第1 デジタルプラットフォーマーによる市民の包括的把握

2010年、盛岡市で開催された第53回人権擁護大会第2分科会シンポジウムは、「デジタル社会における便利さとプライバシー~税・社会保障共通番号制、ライフログ電子マネー~」というテーマだった。そこでは、私たちの行動の足跡がデジタル社会に残ってしまうライフログの実情に迫り、これを利用した行動ターゲティング広告が始まった時期にその問題点を指摘し、また当時政府が創設を目指していた共通番号制度(現在のマイナンバー制度)の問題点を明らかにしながら、デジタル社会における自己情報コントロール権の実効的な保障を提言した。

それから12年が経過した。この間、インターネットへのアクセスは、PCからよりスマートフォンからの方が多くなるなど、インターネット通信量の飛躍的な増大だけでなく、その手段も変化している。ツイッターフェイスブック、インスタグラムなどのSNSが飛躍的に普及したのも2010年代の際立った特徴である。

若い世代では、テレビ視聴よりユーチューブ等のインターネット利用の時間が上回ると報道されている。企業が支出する宣伝広告費も、新聞やテレビに対するものより、インターネットに対するものの方が上回るようになった。行動ターゲティング広告の有効性が周知のものとなり、営業活動を行う企業側からすると、3割ほど少ないコストで広報が図れるようになっている。

今や私たちは、デジタル社会の中に組み込まれた生活をしている。

もちろん、デジタル社会は私たちの生活に大きな利便性をもたらしている。しかし、他方で、デジタル社会の基盤を提供しているデジタルプラットフォーマーは私たちのプライバシー情報を大量かつ容易に収集・分析・利用するため、検索キーワード、閲覧した記事やユーチューブチャンネル、GPSをオンにしていることにより蓄積されていく移動履歴など、当の本人は到底覚えておくことの不可能なはるか以前から現在に至るまでの記録を保持し、そして近い将来の行動予測をしながら、収益を上げている。アメリカでは、フェイスブックにつけた「いいね!」の選択を分析するだけで、高い確率で人種、宗教、支持政党を推測できると指摘されるようになった。分析対象となる「いいね!」の数が増えると、同僚や友人、配偶者よりもその人の人格を正しく補足できるとされている。

私たちは、自分たちの思考過程まで推知可能なほどの膨大な情報の蓄積と利活用という、利便性の裏側にある問題点をきちんと意識して生活できているだろうか。

 

第2 多様で、信頼性の高い情報にアクセスすることの困難さ

 

また、AIに委ねた便利な生活の中で、私たち自身が意思決定を行うに際し、自律的な判断ができるために必要な情報アクセスを確保するのが困難になっている。

2016年11月の米国大統領選挙で、勝者側が利用した選挙コンサルティング会社であるケンブリッジ・アナリティカは、インターネット情報を基に個人の人格を分析し、特定の考え方を支持する情報に誘導したり、特定の考え方を支持するグループにのみ強く投票行動を促すなどの誘導により、選挙に影響を与えたのではないかとの疑問を突きつけられた。

一度風変わりな意見の動画を見ると、次々とたくさんの人が同様の主張する動画をお勧めされ、「多数の人に支持されているのだ」と、偏った情報に取り囲まれる「エコーチェンバー」現象、自分の好み以外の情報が自動的にはじかれ、アクセスできなくなる「フィルターバブル」現象などにより、一種の洗脳に近い状態に追い込まれることもある。感情を揺すぶり、アクセス回数を伸ばすことで収益を図ることを至上と設定したAIのアルゴリズム(計算式)に問題があるとの指摘がある。

コロナワクチンをめぐって、アメリカでは「マイクロチップが埋め込まれてしまう」、日本では「遺伝子が書き換えられてしまう」とのエビデンスに基づかないワクチン反対方向のフェイクニュースが席巻したことは記憶に新しい。米国では、2020年大統領選において「票が盗まれた」との考えを支持する市民が相当程度存在するため、2022年の中間選挙においても重要な争点となっている。

米国では、個人情報が民間事業者の中で自由に流通すること(data free flow)自体を表現の自由であると捉え憲法上の地位を高く評価してきた。しかし、主権者の意思形成をゆがめ、表現の自由を侵害するおそれがあるとの認識に至り、プライバシー権に基づく情報流通(アメリカ流「表現の自由」)の制限が必要であるとの価値観の転換が進んでいる。

我が国では、一人一人の主権者が、このような情報流通の問題に向き合い、自己決定できるための議論が尽くされているだろうか。

これらの問題点を探り、対策のための制度改革を考える必要がある。

第3 デジタル庁を中心とした日本のデジタル政策

デジタル改革関連法の成立により、2021年9月1日にデジタル庁が発足した。

官民を横断するデジタル社会の進展、データの利活用が図られようとしている。

しかしながら、民間事業者によるプライバシー情報の利活用が、主権者のコントロールがきかないほどのプラットフォーマーの権力の肥大化につながったという問題点を考えると、公権力主導で同様の仕組みを目指すという進め方自体も含め、検討されるべき問題点は多い。

デジタル社会の実現に向けた重点計画(2021年6月15日、高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部、官民データ活用推進戦略会議)によれば、デジタル社会の形成に向けた基本的な施策の冒頭に「マイナンバーカードの普及、マイナンバーの利活用促進」が掲げられ、これが中心的な手段と位置付けられている。

マイナンバーカードについて、健康保険証や運転免許証との一体化、及び既存の健康保険証の廃止という政策からは、医療機関を受診する可能性のある市民は、例外なくマイナンバーカードを保有する以外に選択の余地がなくなる恐れがある。

マイナンバー制度は、当初の税・社会保障制度のための手段という位置付けから、行政効率化の手段とされ、必ずしも税・社会保障と関連性のない国家行政事務にまで個人番の利用が政令への委任により開かれている。また、直接マイナンバーを媒介として情報を連携するわけではないとしても、マイナンバーカードを通じた民間事業者におけるデータベースの作成には制限がない。

これは、私たち主権者が自ら選択したデジタル社会の第一歩だろうか。

 また、その後に政府が想定している未来予想図は、私たち主権者が自ら望んでいる姿だろうか。

また、マイナンバーカードには、指紋の1000倍と言われる高度な本人確認機能を有する顔認証データの収集・利用が不可分一体とされている。健康保険証機能を活用する場合、医療機関に導入されたカードリーダーで、受診者の個人番号カードのICチップに埋め込まれた顔画像データから生成される顔認証データと、本人の顔画像とを、カードリーダー内蔵のカメラでチェックし、同一人であることを判断させる。

中国では、約6億台の顔認証機能付きの街頭監視カメラに基づき、住民全員の個人情報データベースとの検索がなされている。街角で行った交通違反で減点され、直ちに罰金が科されたり、政治犯が逮捕されたりしている。海外メディアの実証実験によれば、場所を明らかにせずに公共空間に現れたターゲットを、当局が特定し臨場するまでに要した時間はわずか7分であったという。

顔認証データが高度な本人確認機能を持つことから、GDPR9条1項は、顔認証データを典型とする生体情報の原則収集禁止を掲げ、民間事業者の収集・利用にも議会による法律制定が必要とされている。日弁連も、2012年、2016年に加え、2021年にも顔認証システムの利用に対する制限立法を求める提言を繰り返しているが、今なお存在しない。

公権力による市民のプライバシー侵害の高度化は、今もなお、最大の警戒対象であり、市民の自律性と民主主義社会の前提を破壊しないための対策が必要不可欠である。

 

第4 地方自治体における個人情報保護

2020年10月下旬、内閣府は全国の自治体に向けスーパーシティ構想への公募を開始した。

  デジタル化を進める国家戦略特区の実験には、そこでプライバシー権を制限される住民の意思や、住民代表者で構成される地方議会による慎重な検討が求められるところ、そのような制限を設けない実験も可能とされている。

  デジタル改革関連法には、個人情報保護法制の大改正も含まれており、国法である個人情報保護法より住民のプライバシーを保護するために先に成立し、センシティブ情報の収集制限など、住民のプライバシーを保護する規定も含まれていた条例が、そこでは国法以上のプライバシー保護を抑制され、保護水準が切り下げられる懸念がある。

  元々、住民基本台帳ネットワークシステムは、市区町村の基礎的地方自治体が保有している、正確で最新の住民の居住状況を国家行政事務が可能な限り自由に捕捉するための制度設計と、住民のプライバシー保護を図るために必要のない国家行政事務への提供を防止するための制度設計がせめぎ合ったシステムであった。

  利便性や行政の効率化を優先するデジタル社会においては、主権者のプライバシー保護は絶えず後方に退く危険がある。自衛隊適齢者情報の提供に関する基礎自治体の慎重姿勢が次々と変化している状況を考えると、デジタル改革関連法は、全体として住民のプライバシー保護機能を有する中間団体であった地方自治体のバリアを破壊して、国家による住民情報の直接の捕捉につながる懸念も否定できない。

  これは、地方自治の破壊にもつながりかねない重大な問題である。

 

第5 プライバシー権保障のための仕組みを

 

利便性・効率性の優先ではなく、あらかじめ必要なプライバシー保護措置を事前に組み込んだ制度設計によるデジタル社会の設計図がなければ、その後の世界は、プライバシー保護のない社会にならざるを得ない。仕組みが動き出す前に、設計図にプライバシー保護のための必要な施策を全て事前に組み込まなければならない。

このような考え方を「プライバシー・バイ・デザイン」(設計図に組み込んだプライバシー保護)」、「プライバシー・バイ・デフォルト」(初期設定で確保するプライバシー保護)と呼び、GDPR(EU一般データ保護規則)25条が定めている。

デジタル改革関連法案には、このようなプライバシー保護に向けた具体的な仕組みは存在するだろうか。

私たちが2010年の人権擁護大会決議で提言した、クッキー(市民のインターネット利用履歴を統合する目印)規制は、日本では法制度として採用されなかった。その後、クッキーは、サードパーティークッキーの開発により更に企業にとっての利便性を増したが、市民は、自分のインターネット利用履歴が誰にどのように利用されているのか、ほとんど理解しないまま、情報利活用の「客体」のまま放置されてきた。

2022年通常国会に提出された電気通信事業法改正案の検討過程において、総務省の事務局は、電気通信事業者に対し、クッキーに対する事前同意を求める案を検討していたが、事業者らの強い反対により葬り去られた。

プライバシー権の著しい侵害状況、欧米の厳格なプライバシー保護強化という政策転換に、経済活動を優先させがちだった省庁も重い腰を上げようとしている。

逆に言えば、総務省がわざわざ事業者の望まないプライバシー保護施策を検討せざるを得ないほど、日本の法制度は国際水準から見て遅れている。早く民主主義国家とその市民にふさわしい法制度が実現される必要がある。

 

第6 主権者の幸福に資するデジタル社会とは?

世界的に技術導入に重点が置かれがちで、住民自治の観点が切り捨てられがちなデジタル化の中で、バルセロナは2015年に「スマートシティのインフラを民主化する」というゴールを掲げ、市民が市政に参加するためのプラットフォーム「ディシディム」(カタルーニャ語で「私たちが決める」の意味)作りから始めた。市の予算の一部に市民が提案する政策に配分する「参加型予算」を設置し、市民の提案する政策に従い、市議会での議論を経て配分されるように変化した。その結果、市内のビルの屋上に農園を作る政策など約1500もの提案が市議会で採択されている。

 また、EUでは、デジタルプラットフォーマーへの対抗戦略として、2017年に欧州委員会がデコード(Decentralized Citizens Owned Data Ecosystem:脱中央集権・市民所有型データエコシステム)プロジェクトを始めた。これは、オンライン上で生成される個人情報の蓄積・管理、運用に関して、市民自らが個人データの秘匿や共有をコントロールできるようにする仕組みである。例えば、自分の移動データについて、公共交通機関には開示するが、保険会社や広告会社には非開示にするというように自分の意思によって選択できる。その際の大原則は、「個人データは企業や政府のものではなく、それを持つ人自身のものである」という「データ主権」の思想であるとされる。

  日本のデジタル化は、すべて政府が設計図を描き、市民はただその客体にすぎないかのような前提で着々と進んでいる。日本も民主主義国家であるのならば、EUバルセロナ市のように、主権者自身が自らの「情報主権」に目覚め、公権力や民間事業者に対しても、自らの移動履歴・行動履歴を誰には提供してもいいが、誰には提供したくない、という自己情報の提供に関する自己決定権を行使できる、自己情報コントロール権の実現を組み込んだデジタル社会を目指すべきではないだろうか。

その不可欠の前提として、まずその設計図の作成に主体的に参加できることを目指すべきではないだろうか。

 

第7 基調報告書の構成と目標

 

この基調報告書は、以上の第1ないし第6におおむね相当する各編において問題点を分析し、対策を検討するものである。

当初は、全体で200頁に届くか、という雰囲気すらあったが、各班の熱心な調査活動により、逆にどうやって短くしたらよいかという悲鳴が上がるようになった。

特に、デジタル庁の政策は、沿革も含めて茫漠としており、検討は困難を極めた。これから具体化していく部分も大きく残されていると思われる。

興味があるテーマだけでも目を通していただければ、現在のデジタル社会の本質的な問題の一端は理解できるのではないだろうか。

デジタル問題というと、ベテラン世代には身近に感じにくい課題かもしれない。しかしながら、デジタル社会のインフラは、一旦作り上げられれば、少なくとも今後数十年は私たちの生活の基本構造を規定し、そのプライバシー保護レベルを一定水準に強制する可能性が高い。

デジタル政策を検討すると、政府は、自らがデジタルプラットフォーマー代わりに情報の利活用のセンターとなることを指向しているのではないかと感じざるを得ない。

専門家に任せることなく、私たち市民がNOという意思を示すのも自己決定であれば、よく分からないから一任してしまうのも自己決定である。

一人一人の市民が主権者であり続けようとしているのか、民主主義社会の基盤を維持しようとしているのか、問われているのは私たち自身ではないだろうか。