B型肝炎九州訴訟最高裁判決

 本日15:00から、最高裁第2小法廷で、慢性肝炎を再発した被害者に対し、最初の慢性肝炎発症時を除斥期間の起算点としてその請求を棄却した原審福岡高裁判決を取消し、差し戻す逆転勝訴判決が出されました。以下、弁護団の声明です。

令和3(2021)年4月26日

全国B型肝炎訴訟原告団弁護団

 

声明

1 本日、最高裁判所第二小法廷(三浦守裁判長)は、集団予防接種における注射器の連続使用によってB型肝炎ウイルスに感染し、慢性肝炎を発症し、沈静化した後に再発した原告らに対し、最初の慢性肝炎発症時を起算点として除斥期間(旧民法724条後段)を適用した福岡高等裁判所の判決を破棄し、逆転勝訴の判決を言い渡した。

  本判決は、除斥期間という時の経過による権利の制限を形式的に適用するのではなく、客観的に損害賠償を請求できるかという観点から除斥期間の適用を制限したものであり、被害者救済のために最高裁判所が司法の職責を果たした画期的な判決であって、高く評価できる。

2 本判決は、「どのような場合にHBe抗原陰性慢性肝炎を発症するのかは、現在の医学ではまだ解明されておらず、HBe抗原陽性慢性肝炎の発症の時点で、後にHBe抗原陰性慢性肝炎を発症することによる損害の賠償を求めることも不可能である。」から、「HBe抗原陰性慢性肝炎を発症したことによる損害は、HBe抗原陰性慢性肝炎の発症の時に発生したものと言うべきである。」として、再発の肝炎による損害は、再発時が除斥期間の起算点となるとして、原告らの請求を認容した。

  あらかじめ請求できない損害についての請求をしていなかったことを、被害者の不利益に解釈してはならないという民法の本質から原判決を取り消したものであり、法理論としても重要な意義がある。

  本判決は、これまでの最高裁判例が、旧民法724条後段が除斥期間であることを前提としながらも、除斥期間の適用をできる限り回避して被害救済を行ってきた流れに即し、原告らの被害実態に向き合い、時の経過のみで国の責任を免じる不合理を許さないと判断した、まさに正義にかなった判決である。

3 さらに、裁判長の補足意見では、極めて長期にわたる感染被害の実情に鑑みると、上告人らと同様の状況にある特定B型肝炎ウイルス感染者の問題も含め、迅速かつ全体的な解決を図るため、国に協議を行うなどして感染被害者等の救済にあたる国の責務が適切に果たされることを期待するとされた。極めて的確な指摘である。

  上告人2名と同様の再発肝炎の被害者はほかにも111名、それ以外に除斥の肝炎を闘っている被害者も200名以上いる。これらすべての被害者に対し、国は加害者として誠実に向き合い、迅速に解決のための協議を行うべきである。

4 我々は、不合理な除斥の壁に立ち向かう被害者全員の救済を求めて、全国の原告団弁護団、支援者と一丸となって闘い続ける決意である。

以上

B型肝炎九州訴訟最高裁弁論

 本日14:00から、最高裁判所第2小法廷で、B型肝炎九州訴訟の口頭弁論期日が開かれました。

 上告人の平野裕之さんと、弁護団5名が、下記のテーマでそれぞれ意見を述べました。

上告人平野裕之さん:被害者の思い
栁優香弁護士:被害者の思い(上告人Bの弁論を代読)
佐藤哲之全国弁護団代表弁護士:総論
大津集平弁護士:筑豊じん肺訴訟最高裁判決等違反
私:昭和42年最高裁判決違反
小宮和彦九州弁護団代表弁護士:国賠法1条1項の解釈の誤り

私の弁論は下記の通りでした。

 最高裁判所は、基本的には書面審理であり、口頭弁論期日は滅多に開かれないため、弁護士は、最高裁の弁論期日や判決言渡期日に出頭すること自体が一生に何回もない、まして弁論の機会はもっとまれという状況です。緊急事態宣言は空けていましたが、コロナ状況下だったため、マスクでの弁論という変則的な形でした。

1 はじめに
私は、上告人Aさんのケースをもとに、原判決が最高裁昭和42年判決に反していることについて意見を述べます。
2 原判決は不可能を強いている。
Aさんは、1987年(12月9日)に肝炎を発症しました。
 インターフェロン治療を受け、まもなくセロコンバージョンして肝機能数値も正常になり、医師からは「もう大丈夫ですよ。」と伝えられました。
 肝炎が再発したのは、2007年(12月18日)で、最初の発症からは20年以上たっていました。高い薬を一生飲み続けることを医師から勧められ、いったん断りましたが2回目の入院であきらめ、飲む選択をして現在に至っています。
原判決は、Aさんに対して、裁判を起こしたのが2008年7月であり、最初に肝炎を発症したときから20年以上たっているから、除斥期間によりすでに損害賠償請求権は消滅していると判断しました。
 これに従うと、1987年の時点で、2007年の肝炎再発の損害もすでに発生していたと言うことになります。しかし、これはそもそも事実として正しいでしょうか。Aさんは、1987年の時点で、2007年の肝炎再発の被害について、裁判を起こしたら、再発の損害賠償金を勝ち取ることができたのでしょうか。残念ながら、不可能だったと言わざるを得ません。
 裁判では、その時点ですでに生じている結果と、将来確実に起こると証明できる損害に対する賠償請求しか認められません。確実に起こる損害にはおよそ80%程度の確からしさが求められますが、肝炎が将来再発する確率はせいぜい20パーセント程度なので、将来確実に起こる損害とは認定されないからです。
3 時効期間経過後の治療費請求を認めた最高裁昭和42年判決違反
昭和42年(7月18日)、時効について重要な最高裁判例が出されました。
 事故により右足関節を痛めた後遺症で内反足となった被害者が、治療のしようがないと医師からさじをなげられました。しかし、時効期間を経過した後に新しく適応となった皮膚移植術という治療を受けました。この新しい治療代を請求した裁判で、加害者が、「時効期間を過ぎた後の治療費を支払う必要はない」と主張したのに対して、最高裁は次の理由を述べて、請求を認めました。
「被害者としては、たとい不法行為による受傷の事実を知ったとしても、当時においては未だ必要性の判明しない治療のための費用について、これを損害としてその賠償を請求するに由なく、ために損害賠償請求権の行使が事実上不可能なうちにその消滅時効が開始することとなって、時効の起算点に関する特則である民法724条を設けた趣旨に反する結果を招来するにいたる」
 最高裁は、後遺症の状態が変わらなくても、医学の進歩で有効な治療方法が開発されたら、たとえ時効期間が経過していてもその費用を加害者に請求してよいことを認め、その理由として、あらかじめ医学的根拠をもとにした請求ができないことを挙げました。
 Aさんの場合、最初の肝炎がいったん治まった後、再発の時には、病気の状態がより悪くなっています。けがの状態がそれほど変わらなかったこの事案より救済の必要性が高いと言えます。また、再発時には、核酸アナログ製剤という、最初の発症時には存在せず、将来開発され保険適用されるとは医学的根拠をもとに証明することができなかった新薬の治療代を支払い続けています。少なくとも新しい薬代の請求は当然に認められなければこの最高裁判例に反しています。
 被上告人は、答弁書で、この判例を、「不法行為と相当因果関係の範囲内にある全損害」が最初の損害発生時に発生しているという原則を打ち立てたものであり、消滅時効だから予見可能性で例外を認めたに過ぎず、除斥期間が問題となる本件とは無関係であると主張しています。
 しかし、この事例では、被害者の純粋な主観が問題とされたものではありません。判例解説では、「経験則上、未だ通常人の予見可能な範囲の損害であるとは認めがたく、(XにおいてC医師から)皮膚移植手術の必要を告げられその治療を受けた時(昭和36年6月)に、右手術の費用負担による損害が(Xに)発生し、(Xにおいて右)損害を知ったものと認めるのが相当」(栗山忍・最高裁判所判例解説民事篇昭和42年度329頁)とされ、新たな治療費の損害は、医学上の必要性が生じたときに初めて発生したととらえるべきことが示されています。不法行為時あるいは最初の損害発生時において、その発生の高度の蓋然性をあらかじめ証明できない将来損害は、客観的に存在しないから、その認識はそもそも問題とはならないのです。本件新薬の治療代も、最初の損害の発生時において客観的に確定している損害にあたらず、最初の損害とは別に評価されるべき損害であり、現に被害者が支出を迫られたときに、初めて損害として発生したものと扱うのが最高裁昭和42年判決の論理です。従って、この判例の意義を狭く主張する被上告人の主張は失当というほかありません。
4 最高裁昭和42年判決の論理は、本件においても妥当する。
平成16年(4月27日)に出された筑豊じん肺訴訟最高裁判決は、加害者の主張する除斥期間を過ぎた後にも請求を認める根拠について、「損害の発生を待たずに除斥期間の進行を認めることは、被害者にとって著しく酷である」と指摘しました。
この論理は、不法行為時、あるいは最初の損害発生時において、高度の蓋然性をもって将来生じることが証明できる確定的損害を超えた損害は、現に生じた時点において権利行使が可能になったものと扱わなければ不公平であることを示しており、最高裁昭和42年判決と全く同趣旨であると考えられます。
原判決は、Aさんが、2007年に肝炎を再発した後の入院代、昭和の時代には開発されていなかった新薬としての核酸アナログ製剤の費用、仕事を休んだ休業損害、肝炎のために無理をすることができないという日常生活の制限、このような被害を請求することはできないと判断しました。
 1987年時点においてはもちろん、2007年に再発する前には、将来再発した場合の治療代やその他の損害は請求できません。将来自分が確実に再発するとの医学的な証明ができないからです。
 他方で、2007年に現に再発した時点では、慢性肝炎の最初の発症からすでに20年以上経過しているとの一事をもって一切請求できないのであれば、再発した肝炎の被害に関する損害賠償請求をする機会は、どの時点においても本当に1日も、1秒すらも保障されていなかったことになります。
 このような結論が認められるのであれば、わが国には、正義もなければ、正義を実現する手段としての司法も、あるいは損害の填補と公平な分担を図るという不法行為制度自体も存在しないと言わなければなりません。
 Aさんが2007年に肝炎を再発したのは、まぎれもなく、幼少時の予防接種の際に、国が注射器の連続使用をしないよう指示をしなかったせいです。その責任は国も争っていません。
 国は、明白な加害者です。Aさんは明白な被害者です。肝炎を再発したのはAさんのせいではありません。国のせいです。
 裁判所におかれましては、「損害が発生した瞬間に、すでに請求権が消滅していて、絶対に請求ができない」という絶対的な不正義を許さず、何ら落ち度のない被害者が、再発した肝炎によって被った被害の償いを、再発した時点で認める、常識にかなった判断をされるよう、強く求めます。
                                 以上

雑誌「世界」4月号「実装される監視社会化ツール」

 福岡市内では、本日店頭に並んだ雑誌「世界」4月号に、表題の文章が掲載されました。表題は、出版社から提示されたお題です。

 以下の見出しで、マイナンバーカードの義務化と顔認証の日常化への懸念を書いています。

1 権利から義務への逆走-マイナンバーカード-

2 顔検索の時代-顔認証データの強制取得

3 強制顔検索をどう避けるか

4 行動追跡手段としてのマイナンバーカード

5 プライバシーと利便性という二律背反

6 同意原則を公権力に遵守させよ

7 無駄な二重行政

8 デジタル情報リテラシーの向上を

9 市民の意識こそが問われている

 

 私がプライバシー問題に関わり始めた最初のきっかけは2002年の福岡県弁護士会での住基ネット反対の活動で、その後2004年に九州弁護士会連合会のシンポジウムなどで監視カメラの問題に取り組み始めました。「世界」2004年7月号の特集「犯罪不安社会ニッポン どうすれば安心なのか」は、その頃買って線を引いて読みました。17年後に監視社会化という同じテーマで原稿を書くことには感慨深いものがあります。

 しかし、まだアナログのビデオテープで記録されていたものも多かった当時の監視カメラからは想像もつかないほどの監視の高度化が実現しています。高度に進展した技術革新の成果には全く不釣り合いな、貧弱きわまりないプライバシー保護の法制度に残念と言うほかありません。

B型肝炎九州訴訟上告受理の理由について

 本年2月10日に、集団予防接種の際の注射器の連続使用によるB型肝炎ウイルス感染被害者のうち、慢性肝炎の最初の発症からは20年以上経過して提訴したものの、慢性肝炎発症後鎮静化し、その後再発した被害者について、除斥期間の起算点を再発時とするよう求める訴訟について、最高裁判所第2小法廷は、上告受理決定を出しました。

 本年2月12日に、決定書が文書で到達し、これによると、以下の通りでした。

「第1 主文

 1 本件を上告審として受理する。

 2 申立の理由中、第4の2及び第6を排除する。」

 私たちの上告受理理由の目次は以下の通りでした。
第1はじめに
第2 筑豊じん肺訴訟最高裁判決、水俣病関西訴訟最高裁判決、B型肝炎訴訟最高裁判決との相反
第3 最高裁昭和42年判決に違反していること
第4 経験則違反
1 「損害の発生」についての経験則違反
2 B型慢性肝炎についての医学的知見に関する経験則違反
第5 国家賠償法1条1項の解釈の誤り
第6 正義・公平の観点からの民法724条後段の解釈適用違反

 すると、排除された第4の2と第6以外は、「<最高裁判例違反事件その他>法令の解釈に関する重要な事項を含むものと認められる」(民事訴訟法318条1項)という判断になります。

 このため、当方が中心的な争点である除斥期間の起算点に関する最高裁判例違反(第2)以外にも、時効の起算点に関する最高裁昭和42年(7月18日)判決違反も一応理由があるととらえられているものと思われます。

 

監視社会化とマイナンバー制度

月刊自治研より依頼を受け、原稿を書きました。 10月号に掲載されました。

監視社会化とマイナンバー制度

1 マイナンバーカードと顔認証データ

(1) カードに一体化させられた顔認証データ

 マイナンバー制度のもとで、国民の利便性に資するといううたい文句で、マイナンバーカード(正式には「個人番号カード」)が制度化されている。プライバシー保護の観点から、カードの作成は義務ではなく、希望者のみが取得する任意の制度とされている。しかし、そこにはカード取得者が「同意した」といえるかがはっきりしないリスクが潜んでいる。

 マイナンバーカードの申請には、顔写真(またはそのデータ)の提出が必要とされる。 顔写真は、住民基本台帳カードでは本人がカードに表示するかしないかを選択できたが、マイナンバーカードの表(オモテ)面には義務的に表示され、またICチップには、表面に表示された顔写真データも電子データとして搭載される(総務省ホームページ)。*1

 ところで、証明書に写真を添付することは長年にわたってごく普通に行われてきたことであり、マイナンバーカードに写真が表示され、ICチップに搭載されることに違和感を持つ方はほとんどいないかもしれない。

 しかしながら、現在、世界では、顔写真から生成される顔認証データには、本人特定のための高度な特性があることから、その取り扱いには厳しい目が向けられている。

 マイナンバーカードは、申請者から提出された写真(またはデータ)から生成される顔認証データ(目・耳・鼻などの位置関係等を数値化して特徴を捉えたデータ。たとえて言うならば、「顔指紋」のようなもの、あるいは「三次元バーコード顔バージョン」のようなものである)と受け取りに来た本人の顔を、顔認証装置でチェックし、一致していること、すなわち顔認証による照合ができるという品質保証を確認した上で交付されている。つまりマイナンバーカードには、顔認証による正確な本人確認ができることを自治体が品質保証した顔認証データが不可分一体とされており、その搭載を拒絶する自由は認められていない。

 顔認証データの活用は、日本では、2002年の日韓共催サッカーワールドカップの際のフーリガン(サッカー観戦時に騒動を起こす者)の入国阻止目的で、関西空港と成田空港の税関に設置、運用されたのが始まりである。

 その後、民間でも、テーマパークの年間パスポート取得者が、あらかじめ自分の顔認証データを登録することにより、入口のカメラに顔を向けるだけで、あらかじめ作成された「年間パスポート有資格者の顔認証データベース」とAI を用いて瞬時に照合することにより文字通り「顔パス」で入場することができるサービスとして民間利用されている。また、コンサートチケットが高額で転売されるのを防ぐために、チケット購入者にあらかじめデータを送信させて作成した購入者の顔認証データベースと、来場者の顔とをコンサート会場の入り口で照合して入場を許可する方法で活用する例や、書店等で万引き犯データベースとの入口照合を行う活用例が増えている。

 2017年に発売されたスマートフォン「iPhoneⅩ」では、顔認証による本人確認制度が採用され、その認証の正確さは、指紋認証の1000倍とされた。

 スマートフォンの認証や、テーマパーク・コンサートの有資格者が、自分の利便性のために任意にその利用に同意する場合の顔認証データの利用は問題はない(ただし、同意しない人が一切サービスを利用できない立て付けの場合、指紋の1000倍も本人確認が正確にできる情報の提出を強制することになるので、指紋の強制提出要求と全く同じ問題があり、必要性、相当性を満たして民法709条の不法行為が成立しないといえるか疑問がある)。

 2018年5月に適用開始とされたGDPR(欧州一般データ保護規則)9条1項は、顔認証データを典型とする生体情報の原則収集禁止を掲げ、同2項および3項の例外は、生命に関する利益を保護するために必要な場合や、EU法または加盟国の国内法による定めが存在し、重要な公共の利益を理由とする取り扱いが必要な場合などに限定されており、民間事業者が収集・利用する場合においても、議会による法律制定のないままの収集は許されない。

 日本弁護士会連合会は、2012年時点で、すでに官民を通じて、どのような場合なら監視カメラにより市民の顔情報を記録することが許されるのか、許される場合でもどのような運用が求められているかなどを明記した法律を制定することによって、違法なプライバシー侵害を防止すべきであると提言した。そして、顔認証装置(あらかじめ作成された顔認証データベースと、不特定多数の市民とを照合する装置)を適用することは許されないとした(2012年1月19日付「監視カメラに対する法的規制に関する意見書」*2その理由は、プライバシー侵害のみならず、デモや集会への参加者も対象とされれば、表現の自由、思想・良心の自由に対する萎縮効果まで懸念されるからである。

 その後、警察庁が5つの都県警に対し、組織犯罪捜査目的で顔認証装置を配布し、活用を始めたことに対しても、極めて限定的な要件での利用に制限する法律を作成しない限り活用は許されるべきではないとの意見を提言している(2016年9月15日付「顔認証システムに関する法的規制に関する意見書」)。*3

(2) マイナンバーカードの取得は任意から強制へ?

 すべての住民に強制的に付番され、通知カードが交付されたマイナンバー制度ではあるが、マイナンバーカードの取得は任意とされ、メリットが実感できない住民の申請は伸びなかった。  しかし、政府はもともと、マイナンバーカードの公的個人認証を「イノベーションの鍵」と位置づけ、民間開放することを前提とし、「個人番号カードをデビッドカード、クレジットカード、キャッシュカード、ポイントカード、診察券などとして利用」→「ワンカード化の促進」→「スマホ等のデバイスにダウンロードして代用できるよう研究・関係者との協議の上実現」することを予定しており(*4:マイナンバー制度利活用推進ロードマップ(案))、また運転免許証や健康保険証として利用することも予定している。その矢印の行く先は、「全国民が個人番号カードを保有できる⇒すべての国民が安心安全にネット環境を利用できる権利を有する世界最先端IT国家へ!」とされている。

 このように、運転免許証や健康保険証とマイナンバーカードが一体化され、「全国民が」「保有できる」制度が指向されているということは、その完成形は、保有するか否かは、個人の自由でも「権利」でもなく、「義務」であり「強制」が指向されているとみるべきであろう。法律で正面から義務化規定を置かなくとも、運転免許証や健康保険証との一体管理の効率化をはかれば、全員一律にマイナンバーカードに一体化させるようになるだろう。「行政効率化」は、「個人の自由」や「個別の意思表示、選択、差異」を排除し、異論を認めない一括処理のための悪しきマジックワードとして濫用されうる。

 そうすると、「マイナンバーカードを取得するか否かは個人の自由であり、任意」だから、「顔認証データを、自治体に提供するか否かも個人の自由であり、任意」という建前も、マイナンバーカードが事実上の強制となるまでのわずか数年で終了してしまいかねない。

 そもそも、マイナンバーカードを全国民に強制的に保有させ、「行政効率化」をはかることが国民の幸福追求権(憲法13条)にとって有利であるかどうか、望まない国民・市民(マイナンバー制度の対象となるのは、ロードマップでは表示されていない日本国籍を持たない住民にも及ぶはずである)に強制的に保有する「権利」(という名の義務)を付与することが正当であるかについての根本的な議論が欠けている。

(3) 最も効率のよい監視の手段としての顔認証データ

 2018年2月26日のNHKのウェブページのニュースは、概要次のように中国の監視カメラ・顔認証技術を紹介している。

「中国では監視カメラが1億7000万台以上設置されている。顔認証システムで個人を特定しており、たとえば赤信号無視で横断歩道を渡ると400円ほどの罰金を課される。  顔認証システム開発会社の担当者の説明では、このシステムで指名手配犯を3000人逮捕した実績がある。中国のATMでは、顔認証で出金でき、カードも、暗証番号入力も不要である。顔認証で、公衆便所の紙の使いすぎも見張っている。反体制派とみられる人物は、北京の地下鉄のカメラで見つかり逮捕された。反体制派とされる中国人作家は、自分たちが常に監視されていたという。」

 その後も、設置されるカメラの数はうなぎ登りである。

 顔認証システムは、AIによって高速度で処理される。中国が設置運営する、AIを用いた監視カメラを中心とするコンピュータネットワークは、「天網」(天網恢々疎にして漏らさずに由来すると言われている)と呼ばれ、人の照合可能な数は毎秒30億回とされる。

 新疆ウイグル自治区少数民族ウイグル族を監視するのに用いられているとの批判もある。

 2019年には、香港で逃亡犯引き渡し条例改正案に抗議するデモ参加者が、当局による顔認証による監視を回避するために顔をマスクで覆う対抗策をとった。香港政府は同年10月、緊急事態条項を約50年ぶりに用いてデモ隊のマスクや覆面の着用を禁止する覆面禁止法を議会手続を経ずに行政会議(閣議に相当)で制定し、施行した。マスクなどで顔を覆い個人の識別ができないようにする行為は禁止され、1年以下の禁固刑などに処せられる(平野啓一郎氏は、監視のための顔認証システムとこれに対抗する覆面の活用、さらにそれに対抗する覆面禁止法が施行される社会を2009年に小説「ドーン」で描いていたが、30年前ならSFに分類されたであろうこの小説が純文学たり得ているのは、その悩みが「現代」のものだったからであろう)。

 しかしながら、日本では、このような形で行政権、とりわけ警察が国民・市民の顔認証データを収集し、それをAIを用いて監視目的で利用することは許されない。私たちも同様の監視の実用化に注意を払う必要は高い。

 マイナンバーカードが事実上の強制となり、市民の顔認証データが行政機関に提出が義務づけられるという形態は、それ自体が危険である。必要な本人確認の行政目的の程度を越えた顔写真データや、それから生成される顔認証データの取得は、当然に許されるものではないというべきである。

 GDPRが定めるよう、どのような場合に、どのような形であれば顔認証データを収集、保存、利用できるのか、必要もなく収集、利用等されないよう法律で規制すべきである。 2020年9月、菅首相は運転免許証のデジタル化をマイナンバー制度を活用して推進するよう指示し、警察庁は年内に工程表をまとめる。運転免許保有者8200万人の顔認証データベースが運用されかねず、危険である。

2 キャッシュレス社会の進展に向けた監視の高度化

(1) ビッグデータ社会における個人の行動履歴の捕捉

 2000年代に入ると、インターネットの普及に伴い、パソコンを通じた個人のインターネット上の行動履歴が大量に生産され、活用されうることが認識されるようになった。

 何という検索キーワードがよく使用されているか、どのホームページの閲覧数が伸びているか、などは利用者からも容易に推測できる保存形態であった。さらに、どのIPアドレス(インターネットアクセスをする起点の住所のようなもの)の人が、いつ、どこからどこまでの近道検索をしたのか、どのホームページのどのファイルをどのくらいの時間閲覧してほかに転じたのか、などのきめ細やかな情報、つまり特定個人が、インターネット上でいつどこを閲覧していったかの詳細履歴さえ保存されていることはあまり利用者には意識されていなかった。他方で、アマゾン、楽天などのインターネット市場での商品検索、アクセス、購入実績等の履歴から、あるいはcookieを利用したインターネット上での検索履歴、アクセス履歴から特定個人の趣味嗜好を分析し、それに合わせた有効な広告を表示するターゲティング広告が始まった。

 海外では、たとえば爆弾の作成方法を教えるホームページへのアクセス者を解析するなどの捜査手法が早々に実用化され、捜査の必要性とインターネット上のプライバシーとの調整が論争になった。

 2013年には、世界中の人々のインターネットでの行動の様子について、これらを把握できる立場にある巨大プラットフォーマーが、適法な手続により、諜報機関に情報を提供していたことがスノーデンにより明らかにされた。これを意識し、EUは、プライバシー保護のための規制強化に乗り出した。

 日本では2010年頃から、スマホの普及に伴い、ツイッターフェイスブックなどのSNSの利用者が増加してきた。インターネット上に「自ら公表」される情報が、公表しているつもりのない個人の属性、思想信条等を分析の対象とされる事態を招いた。アメリカでは、フェイスブックにおける「いいね」の選択を分析するだけで、高い確率で人種、宗教、支持政党を推測できると指摘された。また、分析対象となる「いいね」の数が増えると、同僚や友人、配偶者よりもその人の人格を正しく捕捉できるとされた。

 2016年6月に実施されたイギリスのEU離脱を問う国民投票や、同年11月のアメリカ大統領選挙で、勝者側が利用した選挙コンサルティング会社であるケンブリッジ・アナリティカは、このようなインターネットにおける情報をもとに、個人の人格を分析し、特定の考え方を支持する情報に誘導することで選挙に影響を与えたのではないかとの疑問を突きつけられた。

 プライバシー保護を重視してきたEUとは異なり、アメリカでは、個人情報が民間事業者の中で自由に流通すること(data free flow)自体が表現の自由であるととらえ、その憲法上の地位を高く評価してきた。GAFAMと呼ばれる巨大プラットフォーマーは、これを体現する企業として、個人情報を集積し、商業利用をしてきた。山本龍彦教授によると、ケンブリッジ・アナリティカ事件は、個人情報の自由な流通がむしろ主権者の意思形成をゆがめ、表現の自由を侵害するおそれがあることを明るみに出したため、アメリカではプライバシー権に基づく情報流通(アメリカ流「表現の自由」)の制限が必要であるとの価値観の転換が行われているとされる。

 2020年1月に発効したカリフォルニア州消費者プライバシー法は、事業者が自ら収集利用している個人情報の利用目的、利用範囲を開示しなければならず、事後的に求められたら、その販売を中止、消去しなければならないと規定する。 顔認証装置についても、マジョリティーのデータは大量に集まるため白人男性の顔を見分けるのは得意な反面、黒人の識別が不確実であり、マイノリティーに対する誤認逮捕など、差別的な適用が社会問題化した。

 サンフランシスコ市、イリノイ州ワシントン州は顔認証サービスに関する制限立法を行っている。

 現在、プラットフォーマーは、それぞれ顔認証装置の利用を廃止し、プライバシー保護への転向表明を続々と行っている。

 日本の法規制は、民法不法行為(他人に知られたくない情報の同意のない収集・利用は、比較考量により違法となり得る)も含んだものであるのに、あたかも個人情報保護法の形式規制さえ適合すれば何でも自由であるかのように扱って、人権侵害的技術が実用化されることにはブレーキが必要だと思われる。

 総務省経済産業省作成にかかる「カメラ画像利活用ガイドブック」ver2.0(2018年3月)も、カメラ画像の利活用を検討する利用者に向け、個人情報保護法により守られるべき範囲のほかに、もっと大きな配慮すべき範囲として「プライバシー保護の観点で考慮すべき範囲」が存在することを明示している(*5)。

(2) マイナンバーへの購入履歴の集積は誰のためか

 ところで、マイナンバーカードには、先に見たように、「デビッドカード、クレジットカード、キャッシュカード、ポイントカード、診察券」と一体化させるというのが政府の意向である。

 これが事実上の強制として実現されるおそれが大きいのだが、その場合、市民1人ひとりの購買履歴、行動履歴等が逐一捕捉されるおそれもある。

 プライバシーより情報流通を促進してきたアメリカは、民間事業者の情報流通を促進してきただけであり、行政機関主導で個人情報をどんどん集積していくことに合意があるわけではない。悪名高い社会保障番号も、限定された行政目的で付された番号が、民間で自由に拡大利用されていった弊害が問題となっているのであり、最初から行政が意図した結果ではない。

 マイナンバーカードの無邪気な未来予想図は、行政主導で個人情報を収集する旗振りをして何が悪いのか、というプライバシー権に対する問題意識の欠如を表している。どちらかというと、中国の天網寄りの発想と思われる。これに違和感を感じることができるか、市民の人権感覚が問われている。

 マイナンバーカードの発想は、1999年に成立した改正住民基本台帳法に基づき、2003年から発行された住民基本台帳カードの焼き直しに過ぎない。住民基本台帳カードはほとんど利用されないまま廃止され、マイナンバーカードが代わりに発行されている。しかし、この20年間でインターネット上の情報流通は革命的に増大し、産業構造を変化させてしまっている。カードなど所持しなくても、顔認証データのみで生活できてしまい、逆に国家からの監視も自動で行えるというAIの高度な発達も実現している。

 その意味では、マイナンバーカードは、周回遅れの古典的なツールであり、時代錯誤の象徴のような存在である。今頃このような仕組みに税金を投入して市民全員に持たせるのは税金の無駄である。1995年以降のインターネット革命に乗り遅れ、世界の先頭からずるずると後退してきた日本の「IT戦略観」のずれも象徴している。

 2019年7月には、セブン&アイ・ホールディングススマートフォン決済サービスが不正アクセスされ、サービス開始からわずか4日で入金停止に追い込まれた。キャッシュレス決済の導入を急いだ対策の甘さが指摘されている。2020年9月には、NTTドコモの電子決済サービス「ドコモ口座」を悪用した銀行預金の不正引き出し問題が発覚した。いずれも2段階認証等の初歩的な本人確認手続を怠った事案であり、天下の大企業による情報管理は信じられないほどずさんである。

 現在政府が実施しているマイナンバーカード普及策は、消費額に応じて最大5000ポイントが付与される仕組みである。これは、2015年の失敗を踏まえたものと思われる。

 すなわち、当初、2015年10月から消費税を8%から10%に上げる代わりに、マイナンバーカードを利用して食料品等を購入した場合、その購入実績に応じて最大4000円を還付する制度が提案されたが、広範な反対で導入されなかった。これは、まさに市民の消費動向を把握することと引き替えに増税緩和策を採るという仕組みであった。

 行政機関は、可能な限り個人の全体像を把握できるよう、個人情報を結合させたいという動機があると、住民基本台帳ネットワーク導入のための1999年の住民基本台帳法改正法案の審議の際に与党議員から説明がなされた。

 桝屋委員「私も役人の端くれをしておりましたから分かるのですが、もうこのデータベースとこのデータベースを絶対ひっつけたい、のどから手が出るほどひっつけたいと思う」「最初から悪いことをしようなんて思っている訳じゃないのです。住民のサービスを向上するためには、この情報はひっつけた方がいい、データベースを作った方がいいというふうに絶対思うわけでして」(1999年4月20日衆議院地方行政委員会)

 市民が、このような行政機関の欲求や動機を正しく理解し、マイナンバーカードが、住民基本台帳カードで警戒すべきとされていた行政機関による濫用ケースといえる「全市民の購入履歴、行動履歴の根こそぎ捕捉」につながらないよう、近代憲法がその前提としている「公権力に対する警戒心」を持ち、主権者としての誇りを持ち、自分のプライバシー権を保持するための不断の努力(憲法12条)ができるのか、が問われている。

*1 https://www.soumu.go.jp/kojinbango_card/03.html

*2 https://www.nichibenren.or.jp/document/opinion/year/2012/120119_3.html

*3 https://www.nichibenren.or.jp/document/opinion/year/2016/160915_2.html

*4 https://www.kantei.go.jp/jp/singi/it2/senmon_bunka/number/dai9/siryou6.pdf (原稿では図1として図自体を表示しています。)

*5 https://www.meti.go.jp/press/2017/03/20180330005/20180330005-1.pdf (原稿ではその4頁の図2を、図2として表示しています。)

福岡市が街頭監視カメラを設置しないよう求める声明

3月6日に、福岡県弁護士会は、下記会長声明を公表しました。

千葉県市川市と同じようなことを、条例すら作らずに設置しようとしています。

https://www.fben.jp/suggest/archives/2020/03/post_378.html

福岡市は、2020年(令和2年)度一般会計予算案に2522万円を計上し、天神・大名地区と博多駅筑紫口地区の街頭を監視カメラ約20台で監視しようとしている。
上記監視カメラの設置目的は、風俗営業法や福岡県迷惑行為防止条例、福岡市「人に優しく安全で快適なまち福岡を作る条例」では処罰対象となっていない飲食店等への客引き行為を抑止するためとされている。
 しかしながら、録画される対象のほとんどは罪もない多数の市民であり、肖像権(憲法13条)侵害が著しいため、当然に許されるものではない。法律で認められた警察の捜査活動でさえ具体的な犯罪の嫌疑を条件として許され、その場合でも、基本的人権を制約する場合には法令の根拠を必要とし(強制処分法定主義)、令状がなければ原則として行えないというのが憲法刑事訴訟法の考え方である。
 警察自身による監視カメラの設置でさえ、京都府学連事件判決(最判昭44.12.24)、山谷監視カメラ判決(東京高判昭63.4.1)などによれば、①犯罪の現在性または犯罪発生の相当高度の蓋然性、②証拠保全の必要性・緊急性、③手段の相当性がある場合を除いて、警察が自ら公道に監視カメラを設置することは認められないとされている。また、西成監視カメラ判決(大阪地判平6.4.27)では、「特段の事情がない限り、犯罪予防目的での録画は許されないというべきである。」として、犯罪予防目的での監視カメラの設置を明示的に禁止している。
 そもそも福岡市には、警察のような捜査権限はなく、犯罪捜査目的の活動は許されない。福岡市は犯罪に該当しない行為を監視対象としているが、「モラル・マナー」の保護という犯罪捜査より軽度の利益を優先して、罪もない市民を無差別に撮影し、市民の肖像権や行動の自由を制限することは決して許されるものではない。
福岡市は、データを外部に提供し、人工知能(AI)を活用した映像解析技術による客引き対策の実証実験も行おうとしている。しかし、AIを手段とする監視が著しい人権侵害を招きかねないことは、当会が2014年(平成26年)5月27日に「法律によらず顔認証装置を使用しないよう求める声明」で指摘したところである。「モラル・マナー」違反の行為に対して、自治体がAIを使用した監視実験を行うことは著しいプライバシー権侵害である。
 基本的人権を制限する場合、法律・条例の制定過程を通じた慎重な議論が不可欠であり、そのような過程を経ることなく、予算措置だけで監視カメラを設置し、AIによる監視実験を開始することは、安心という価値に著しく偏った、罪のない膨大な市民に対する人権侵害である。
 当会は2007年(平成19年)以降、反対の意見を述べているにもかかわらず、なんら法律が制定されないまま街頭監視カメラが増設されていることに対し強く遺憾の意を表するとともに、少なくとも適切な法律・条例が制定されるまでの間は、監視カメラの設置・運用を中止するよう強く求める。

2020年(令和2年)3月 6日

福岡県弁護士会会長 山 口 雅 司

「歯科の感染対策」を考えるシンポジウムにご参加下さい。

「患者の権利法をつくる会」の発行する「けんりほうnews vol.261」に、下記原稿を投稿しました。

1 シンポジウムのご案内

 2019年10月26日14:00~17:00,四谷主婦会館プラザエフ7階カトレアで、「歯科の感染対策」を考えるシンポジウムを開催します。是非ご参加下さい。

2 B型肝炎訴訟の経過

  私は、全国B型肝炎訴訟九州弁護団事務局長をつとめております。(B型肝炎訴訟というと、最近はテレビコマーシャルが定着し、80年頃の懐メロに乗せたものも登場していますが、私たちは、このようなテレビコマーシャルは一切行っていません。)

 幼少時に受けた予防接種のときの注射器(針、筒)の連続使用によって、B型肝炎ウイルスに持続感染したとして、平成元年に札幌地裁で5名の原告が実施主体である国を訴えました。しかし、持続感染後の慢性肝炎発症には通常20~30年の潜伏期間が伴うことから、持続感染した原因を特定することが困難ではないかと予想されていました。1審は因果関係を否定しました。しかし、札幌高裁は、浄土宗の僧侶でもある与芝真彰医師の意見書と証言を採用し、B型肝炎ウイルスの持続感染が成立しやすい幼少期における感染原因が、キャリアである母親からの感染以外では、日常生活ではほとんど想定しがたく、注射器の連続使用以外に具体的な原因となり得る行為が考えがたいとして、因果関係を認めました。最高裁も、2006年、原告らがB型肝炎に持続感染したり、その結果慢性肝炎を発症したりした原因が、国による予防接種時の注射器の連続使用にあるとして、その責任を認めました。

 ただ、被害者が膨大な数に上ると考えられたためか、厚生労働省は、被害者の救済を進めなかったため、2008年に10地裁で集団提訴をしました。福岡地裁と札幌地裁の審理は、メディアでも大きく取り上げられました。札幌地裁での和解協議を経て、2011年6月には、被害者の認定基準と症状別の和解金額に関する枠組み合意である基本合意が原告団弁護団厚生労働大臣とのあいだで締結され、当時の菅首相原告団に正式に謝罪し、B型肝炎根治を目指す薬剤の開発支援を約束しました。

3 再発防止の課題としての歯科の感染対策

 注射器の連続使用は、レアケースでない限り再発を心配する必要がないかもしれませんが、全国B型肝炎訴訟原告団弁護団が取り組んでいる再発防止の課題として、歯科の感染対策があります。

 2014年、読売新聞は、国立感染症研究所が調査した結果として、歯科で口腔内で使用する医療器具であるハンドピースを、患者ごとに必ず交換している割合が34%でしかないため、院内感染が懸念されるという記事を公表しました。

 注射器の連続使用ほどではないとしても、感染リスクがあり、安全な医療のためになくなるべき医療器具の連続使用であるとして、全国原告団弁護団は、年1回の厚生労働大臣協議で、この課題の克服を求める活動をはじめました。

 2016年には、現場での遵守状況の調査を求め、2017年5月に公表された結果では、患者ごとに使用済みハンドピースを交換、滅菌する歯科医師は52%に上昇しましたが、100%実施にはまだ遠い状況でした。

 2017年には、当時の塩崎厚生労働大臣から、①標準予防策(患者が感染者であるか否かで区別することなく、すべての患者に対して同様に実践する感染防止策)の徹底が科学的に必要、②命にかかわる重要な問題でコストの課題があっても妥協は許されない、③標準予防策100%実施のために、今後も継続的に調査して向上を図る、④中医協で診療報酬上の対応も議論してもらう、との回答がなされました。

 それ以前は、口腔内で使用した医療器具の患者ごとの交換、滅菌は、AEDの設置などの他の要件を合わせて実践した場合に診療報酬の加算がなされる外来環の一要素とされていました。この年の中医協の結果、患者ごとの交換、滅菌が、基本診療料(初診料、再診料)で評価されるべきこと、つまり、原則としてすべての歯科医院で実践されるべきこととされました。(全国弁護団ホームページで、パンフレットを公表していますhttps://bkan.jp/dental_pamphlet.html

 実際に、現在は、新しい施設基準に基づく届出をしている歯科医院が90%を超えています。現場では、すべての患者に対して口腔内で使用する医療器具の交換、滅菌等が実践されるべきことが周知されつつあります。

4 残された課題

 他方、現場で、本当に標準予防策が徹底されているか疑問もあります。原告さんたちの実際の体験として、2018年にも、B型肝炎の感染を打ち明けたら怒られた、午後の一番最後に受診するように言われた、という事例が報告されています。

 確かに、以前は、歯科では問診によって血液感染しうるウイルス感染の有無をたずね、はいと回答すると別のイスに誘導したり、午後の一番最後に回されることがありました。しかし、そもそもウイルス感染を自覚しない患者が相当数存在する以上、すべての患者の血液を、感染の危険性があるものとして対応する、標準予防策が実践されなければなりません。このことは、1996年にアメリカのCDCで示されました。

 ところが、大学の歯学部においても、それ以前に卒業した歯科医師が、進展した感染予防策をフォローする制度が保障されておらず、ベテランの歯科医師ほど、感染申告をもとに区別する感染予防法、つまり標準予防策以前の古い危険な方法を維持しているというおそれがあります。2016年の調査によると、歯科医師のうち、標準予防策を理解していると回答した割合は、わずか47.3%でした。

 本年の大臣協議では、1996年以前に歯学部を卒業したベテラン歯科医師をターゲットにして、感染予防対策の講習を受けるよう促すとの回答がありました。

 診療報酬制度の変更に合わせて、現場で標準予防策が適切に理解され、実践されるよう、原告団弁護団ともこれから見守っていきたいと考えています。

 冒頭のシンポジウムは、原告団の報告のほか、東京歯科保険医協会理事である濱﨑啓吾氏の講演や、久留米大学医学部准教授の井出達也氏のパネリストとしての参加もあります。

 身近な医療機関なのに、意外と現状が分からない歯科の感染予防策について、是非一緒に考えましょう。ひとりでも多くの皆様のご参加をよろしくお願いいたします。